いよいよ最終回 節分の始まりについて…
『 節分の由来 』その三
◎節分の始まり
いよいよ、今晩出発というのが節分の晩であり、この節分の晩にご出発したのであります。
その際に、神さまがお一人で行ったのではなく、大国常立大神は五万からの部下を引き連れて行ったのです。
豊雲野大神も、やはり五万からの部下を引き連れまして、両方の神界に別れてしまった。
そして、三千年という長い間お別れになりましたが、その際に八百万の神々は、
「 どうか、私らも一緒にそのお供をしたい。一体、我々の行いが悪いために、大国常立大神さまと豊雲野大神さまにご迷惑をかけてしまった。どうか私たちも一緒にお供させてください。 」
と言って、お願いしたのですが、
「 いやいや、その義に及ばん。おまえ等はこっちに残っておれ。その罪をあがなうために、私たち夫婦がそれぞれ別れて行をする。合わせて、世の中の罪、穢れというものを祓うために、また来るべき三千年後には、いろいろこの行に行を積んでおかねばやならない。 」
と言って、断ったのであります。
そして、今後その三千年に至るまでに、非常に世の中に事変も起こったり、人も沢山死んだり、さまざまな事が起こるのでありますから、そのためにこの行をしたのであります。
このように、後の八百万の神はお供をしたい、お申しても絶対許さなかった。
そして、それぞれ五万の部下を連れまして、
「 後は残っておれ。そして、今度は真面目にやらなければいかんぞ。 」
と言って、お発ちになった。
後の八百万の神は、非常に涙を流して後を慕ったけれど、お許しが出ないのですからどうにもならない。
そこで、大国常立大神と豊雲野大神が、お発ちになったその節分の晩に、みんなが集まったのであります。
そして、今度は一体いつになったら御大将がおいでになるか、と言ったところ、上の位の神が、
「 煎り豆に花の咲く時じゃ。 」
と、こうお教えになった。そこで、後の八百万の神は、自分たちが悪かったのですから、みんなで豆を煎って、
「 煎り豆に花の咲く時を待とう! 」
「 我々のこの荒い鬼みたいな心、これが外に出るように! 」
「 福徳円満なる心が宿すように! 」
と、みんなでこのことを誓約して、この豆を毎年撒くことにより、長い間忘れないようにした。
そして、煎り豆に花の咲く時を待とう、とこう決めた。
そして、豆まきを始めたのですから、決して一般の人が考えるように、鬼の神がただ外に出て、福の神が内に入って金が儲かる。
また、幸福に暮らす、という意味のものではないのであります。
それをどうも一般社会では、段々流れ流れて、派手やかに豆まきをやるようになったのであり、非常にこの辺が違っているのであります。
ですから、鬼は外 福は内、と云うのは本当の意味では、この心のこの荒い鬼みたいな心を追い出して、そして円満なる心を宿そう、という誓約をしたのが始まりだったのであります。
ところが人々は、これを段々年数が経ったために、悪魔の神を外に追い出して、内(家)の中にこの福の神が入ってくるように、と変わってしまった。
いくら豆を撒いて、そうして願ってみたところで、みんなが幸福に暮らせないというのも、本当の意味が違うからです。
だけれども、今ではやはりそういうしきたりになってしまい、みんなやっていますが、実は今言う通り、この節分の晩に大国常立大神は艮(うしとら)の方に隠遁して、再び世に出る時はと言ったところ「煎り豆に花の咲く時じゃあ」という神命が降ったのですから、大国常立大神の隠遁を後の八百万の神は忘れないように、我々八百万の神々が悪いために、このように親神さまにご迷惑をかけてしまった。
この荒ぶる心を再び起こさないように、外へ追い出してしまおう、とこういう理由で豆を煎ってやったのであります。
本当は、この節分の晩というものは、非常にまぁ荘厳な晩でありまして、大国常立大神の隠遁の神事をすることですから、皆さんは非常に緊張して、慎重にやらなければならないのでありまして、また三千年の煎り豆に花の咲く時とは今日(こんにち)でありまして、もうすでに大国常立大神は神界に帰っているのであります。
終わり
※ちなみに、田澤先生のお話では、大国常立大神さまが神界に戻られたのは、昭和10年の節分とされています。
