汚部屋からの脱却。 | 9月生まれの青空。 ~医療ケアのある子・ユズとの暮らし~

9月生まれの青空。 ~医療ケアのある子・ユズとの暮らし~

※2017年6月 ブログタイトル変更しました   2010年9月26日。重症新生児仮死で生まれてきた長女ユズ。点頭てんかん(ウエスト症候群)による後遺症と今も闘いながら、医療的ケアのある生活を送っています。

我が家は2015年、次女の誕生した年に、

今住んでいる家を新築した。

 

当初は次女の生まれる予定はなく、

4年待っても授からなかったために

「ユズに特化した家をつくろう」

を合言葉に図面を制作した。

 

限られた予算、

限られたスペースに、

大きなバギー(座位保持椅子)で移動しやすい家をつくる。

 

何年も準備した。

 

いろいろな情報を検索して、

リハビリの先生にアドバイスをもらって、

カッコイイ家の本を買って、

ユズに最適な間取りと機能美が両立した、

ユズがずっと暮らせる素敵な家をつくろうと奮闘した。

 

完成した家は、素晴らしい家だった。

 

扉は全て引き戸にし、

座位保持椅子をベッド状にしても

行き来しやすいような移動スペース。

 

風呂はユニットで選択可能な最大にして、

浴槽も脱衣所も広くした。

 

アパート時代、

2歳から脚をぶつけまくっていた風呂場とは

比べ物にならない広さの浴室。

 

万が一、ここに住み続けられない状況になったら

福祉施設にしてもらおうか、と提案できるほどだった。

 

 

そんなお気に入りの我が家に、

ゴミが散乱し始めたのは2018年くらいだっただろうか。

 

思いがけず授かった次女が3歳を迎える頃、

新生児時代はほぼ何も邪魔なものがなかったリビングは

モノと不用品で溢れ始めた。

 

心の病のはじまりだった。

 

 

夫は仕事と団体活動でほぼ不在。

 

家が汚くなる=私の責任

 

という構図に、ますます心は耐えられなくなっていった。

 

 

負の連鎖で積み上がる不用品。

 

ただでさえ多いユズの荷物に加えて

次女の通園用品など、

私のキャパシティを軽く超えた

ものの量で家が溢れた。

 

 

その時期は、周囲にもなるべく暗い面を見せまいと

ブログや実生活では努めて明るく振る舞っていた。

 

グチにして笑い飛ばせば、

家をきれいにする気力が生まれると思っていた。

 

 

そうではなかったのだと気づいた時には手遅れで、

その後の事故やいろいろな壁につながっていく。

 

 

 

そして、現在。

 

 

 

少しずついろいろな荷を下ろして、

ユズと、家族と、心のゆとりを取り戻しつつある。

 

 

長年もので溢れてしまったこの家を、

正常な状態に戻す時がきたのだ。

 

 

元々、ものが溢れていると頭がいっぱいになって、

余計に不機嫌になってしまうきらいのある私には

「ものがない状態に戻す」ことは

何より心が楽になるクスリでもある。

 

 

心が楽になる「陽」の連鎖が、

今はじまりつつある。

 

 

もう、またすぐに汚れてしまう一時的な片付けではなく、

平常に戻る時がきたのだ。

 

 

そんな気がする。