以前に、「柱の強さランキング」と題して、九名の柱を格付けする記事を書きました。
私は煉獄さんの強さをかなり上位に見積もったのですが、世の中には低く評価する意見があるらしいのです。
煉獄さんの強さの論拠となるのは、「無限列車編」における猗窩座との闘いです。
この闘いをどう評価するか?
「煉獄さんは強いよ」派は、痣なし状態で上弦の参と相討ち寸前までいったのだから、煉獄さんは強いよ、と主張します。
「そこまで強くないよ」派は、勧誘目的で舐めプしていた猗窩座に負けたのだから、そこまで強くないよ、痣も出なかったし、と主張します。
同じものを目撃していながら、人によって評価が分かれる事態になっています。
どちらの言い分がより説得力があるのでしょうか。
「そこまで強くないよ」派の台頭の裏にあるのは、劇場版「猗窩座再来」の戦闘シーンであろう、と私は愚考します。
ハイクオリティの作画で迫力満点の戦闘シーンを見せられた上、猗窩座の攻撃をしのぎ切ったとなれば、義勇さんの株は上がり、相対的に煉獄さんが弱く見えてしまいます。
しかし、アニメの出来栄えでキャラの強さの印象が変わったというだけでは、考察になりません。そこにロジックがないからです。
評価に説得力を持たせる何らかのロジックは、やはり欲しい。
あれこれ思案して、目にとまったのが、「そこまで強くないよ」派の主張。
猗窩座は勧誘目的で手抜きしていた――この部分。
いや、待てよ。
そもそも猗窩座が、無限列車の転覆現場にやって来たのは、無惨さまの命令を受けたからでしょう。
命令の内容は、鬼狩りの抹殺。
殺すのが使命だから、「勧誘が目的」は成立しないでしょう。
鬼狩りを殲滅するつもりで現場に到着したら、強い闘気を持つ者がいた。
殺すには惜しい、となって、鬼になれば死なずに済む、という逃げ道を用意した。それは強者と闘い続けたいという猗窩座の個人的願望をかなえることでもあった。
――猗窩座の心理としては、こういうところでしょうか。
弱った炭治郎をまっ先に狙っていることから、殺す気満々であったことは確実です。
ただ、煉獄さんに対しては、最初から全力ではなかったかもしれません。
徐々にギアを上げながら、闘いを楽しみつつ、「死んでしまうぞ、鬼になっちゃえよ」と誘い水を向けて、個人的な思惑を成就させようとしたのでしょう。
しかし、どうあっても、煉獄さんは首を縦に振らない。
それがわかったとき、猗窩座は、「殺す」という本来の目的に立ち返り、それを確実に遂行しようとしたと思われます。無惨さまの命令は絶対ですから。
「奥義・煉獄」を殺すつもりで迎え撃った「破壊殺・滅式」が舐めプだったはずがありません。
それに耐えて――土俵際ギリギリの攻防で相討ちま寸前まで持っていった煉獄さんは、やはり強かった、と私は結論したいのですが、いかがでしょうか。

