「ハイドラマ」「ロードラマ」という用語は、岡田斗司夫氏の動画で知ってから、時々使用させていただいています。
岡田氏の造語なのかな?
あらためて定義を端的に述べようとすると、なかなか難しいのですが、ロードラマはわかりやすい演出で感動に誘導するもの、ハイドラマは晦渋的・韜晦的な演出で心を揺さぶるもの、という感じになるでしょうか。――抽象的で、まだわかりづらいですね。
もう少しうまく言語化できないものかと思っていたおり、アニメ『マルコ・ポーロの冒険』を視聴していて閃きました。
物語の中に絶対的な価値基準を持ち込むのがロードラマで、相対的な価値基準を採用しているのがハイドラマなのではないか、と。
価値判断でわかりやすい指標となるのは、善悪の判断でしょうか。
正義の味方が悪者をやっつけてメデタシメデタシとなるのがロードラマ、善悪の境が曖昧で考えさせられるのがハイドラマです。――単純化しすぎかな?
『アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険』
毎週土曜日5時10分よりNHK総合にて放送中(45年ぶりの再放送)
『マルコ・ポーロの冒険』はハイドラマとして作られていて、毎回、言葉にできない感動に襲われます。
第18話「パミール越えの恐怖」で、マルコたちの隊商は、パミール高原の山岳地帯を踏破するため、荷物の運搬人を雇います。
運搬人の責任者・ジャファティは、部下を厳しく監督します。雑な仕事をする者は、年少者であっても容赦なく打ちすえます。
そんな態度に反発するマルコでしたが、隊の組分けで、ジャファティと同じ組になります。
パミール高原は、夏でも万年雪が残る険路で、ミスや油断が即命取りになる危険な場所です。
マルコは些細な油断から隊からはぐれてしまい、吹雪の中に閉じ込められます。おまけに発熱し、命の危険に陥ります。
そんなマルコを救ったのは、ジャファティの的確な判断でした。ビバークではマルコの命がもたないと判断したジャファティは、マルコを背負って徒歩で吹雪の中を進み、隊に合流することに成功しました。
しかし、ジャファティ自身は力尽きて死んでしまいます。
――このような内容です。
ジャファティという人物を、善悪を明確に切り分ける「絶対的な価値基準」で評価することはできません。
体罰による指導は、今日的価値観からすれば問題かもしれませんが、それはプロフェッショナルとしての厳しさ故、という視点で見ると、「悪いこと」とも言い切れないのです。パミール越えは命懸けの仕事ですから、知力・体力・技術・精神力、どれもが高い水準になければ務まりません。生半可な仕事ぶりは、自身や仲間を死の危険にさらすことになります。
そういったもろもろを考えあわせると、「善人」または「悪人」といったレッテルをジャファティに貼ることはできなくなり、ジャファティという人物をそのまま丸ごと受け容れるほかなくなります。
そして私は、難しい顔で腕組みをし、波立つ心を表現する言葉を見つけられずに、沈黙するしかなくなるのでした。――ハイドラマに出会うと、大体このような反応になります。
さて。
極悪な敵キャラに、同情すべき過去があったことが判明する――。
バトル漫画などで、よくある展開です。
すると、読者間で議論がわきおこることがあります。
「かわいそうな過去」があったからといって、悪いことをしたのは変わらないのだから、赦されるのはおかしい、とか何とか。
このような議論は、ロードラマ的な視点でキャラクターを評価しようとするからおきるのではないか、と最近では思うようになりました。
すなわち、議論を発議する人は、一度キャラに貼った「悪人」というレッテルを剥がされるのが嫌なのではないか。「悪人」という、わかりやすい絶対的な価値判断を手放したくないのではないか。わかりやすい絶対的な価値基準に依存しないと、不安でしかたないのではないか。そのような自己の心情に賛同してくれる人を発掘したくて、議論を投下しているのではないか(ちょっと辛辣&うがちすぎかな?)。
また、逆に、「かわいそうな過去」を知り、キャラクターに同情して号泣するような人も、同じくロードラマ的な視点に留まる人なのではないか。それまであった「悪人」のレッテルを剥がした直後に、「実は悪い人じゃなかった」というレッテルを貼り直し、そこに浸って感動の涙にむせぶ――。これって、ロードラマ的な演出に、まんまと誘導されているのではなかろうか。
別に、ハイドラマ的な視点で物語を鑑賞する人が高尚だとか、ロードラマ的な視点しか持ち合わせていない人が低俗だとか、そういうことを言いたいのではないのです。
その辺の感受性だとか分析力だとかは、人それぞれですから、自分が感じたままの感動を味わえば、それでいいのです。感じ方は自由です。
ただ、私個人の経験に照らせば、他者が大いに感動している横で、難しい顔で「うーん」と唸っていることが多々あり、そういう態度をとっていると、「こいつは人の心とかないんか」「物語を理解するだけの頭がないのじゃないか」といった視線を向けられることが、たまにある(気がする)ものですから、ちょっと書いてみたくなったのです。
する必要のない言い訳、といったところでしょうかね。
