『メダリスト』 第1~12巻 感想 ⑥ | 物語の面白さを考えるブログ

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アニメを入口として『メダリスト』という作品に触れた私は、原作漫画に対して、それを読む以前、ある疑念に近い興味を抱いていました。

フィギュアスケートという題材を、どのように表現しているのだろう?

フィギュアスケートは、動きそのもので魅せる競技です。

鑑賞する者の立場でいえば、動画で見ることに意味のあるスポーツです。

しかし、漫画は、動画ではありません。

静止画です。

どれほど画力が高くとも、絵を動かすことはできないのです。

どこまでいっても静止画でしかない漫画で、動画の持つ迫真性を超えることができるのか?

フィギュアスケートは、漫画で表現するには不利な題材であるとしか思えなかったのですが、ネットで原作勢の感想を読むと、アニメの方が迫力不足といった意見がそこかしこに見受けられました。

アニメのスケートシーンは、モーションキャプチャを用いた3DCGで作られています。

振り付けを担当したのは、世界選手権メダリストの鈴木明子さん。

つまり、アニメの中でキャラクターが演じているのは、〝本物の〟フィギュアスケートの動きなのです。

加えて、アニメならではの強みとして、〝カメラ〟がリンクの中に入って、現実ではあり得ないアングルから選手の動きを見せることが可能となっています。

これに音楽まで付くのです。

絵が動かない、音も鳴らない、沈黙の静止画でしかない漫画では、アニメに太刀打ちできるとは思えませんでした。

しかし、原作勢は言います。原作の方が上だ、と。

原作漫画は、いったい、どういう魔法を使っているのでしょうか?

 

原作漫画が、「即オチ2コマ」的な手法を使い、読者の脳内に情報を発生させていることは、すでに述べました。

それと同じことが、スケートシーンで行われていました。

絵が動かないなら、読者の想像力を刺激して、読者の脳内で競技者を動かせばいい。

音が鳴らないなら、読者の想像力を使役して、脳内に音楽と歓声を響かせればいい。

使えるかぎりの漫画的技法を駆使して。

助走からジャンプ、着氷に到る一連の動きを、連続写真のように一枚の絵に描く。

その一枚の絵の中に、助走、踏切の瞬間、跳躍(上昇)、頂点到達、下降、着氷、滑走と、複数の姿が描かれる。

すると、読者の想像力は、描かれていない部分の姿を幻視し、あたかもアニメーターが原画と原画との間を動画で埋めるように、脳内で動きを創造してしまう。

現実では不可能なアングルから選手を描くのは、漫画でもできる。

動画の迫力を超えるには? ――漫画のキャラクターは、コマという枠を飛び出して迫力を表現できる。画面の枠からはみ出すことのできないアニメキャラには不可能な技だ。

スピード感を出すのはコマ割りの仕事だ。斜めに引かれたコマの枠線は緊迫感を表し、鋭角を成したコマの形は方向性とスピード感を示す。

1ページの中に瞬間を凝縮しろ。その数瞬の間に複数の場所で起きた出来事をひとつの画角に収めることができるのが漫画の強みだ。着氷の瞬間、沸き立つ観衆、拳を握るコーチ陣、加点する審査員の指――そのすべてが一体となって、読者の脳内に会場の熱気を幻想させる。

音は鳴る。演技の前に提示される曲名。空中を漂う音符記号――昔ながらの表現だが、かまうものか。使える武器はすべて使え。読者の鼓膜は聞こえぬ音に震えるだろう。

局面に応じて自在に筆致を変化させられるのが、3DCGにはない漫画の技法だ。

いのりが妖精のように踊るシーンはやわらかい線で。

光が獣のような本性を垣間見せるシーンは筆で殴り書きしたような荒々しいタッチで。

岡崎いるかが魔性を発揮するシーンはトーンを多用し画面に闇の重みを乗せて。

――――

ありとあらゆる漫画的技法を用いて、絵を動かし音を鳴らし、フィギュアスケートのヒリヒリするような迫力を表現した原作の力量に、私は度肝を抜かれたのでした。

そして、その感動は、感想記事①で述べた言葉へと収斂したのでありました。

 

原作はアニメを超えたね

 

すると今後は、アニメ2期の方が心配になりました。

原作の持つこの凄まじさを、アニメでどのように表現するのか?

心配は期待と同義でもあります。

私の勝手な心配を、杞憂だったと笑い飛ばしてくれる映像が製作されることを期待しつつ、記事を終わります。

『メダリスト』、面白かったです。

 

(おわり)

 

 

最後に見ていきなよ、オレの明浦路を。

 

モーションキャプチャとか3DCGとかいう技術、個人的には好きなんですけどね。