吸血鬼ハンター〝D〟とシェーン | 物語の面白さを考えるブログ

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映画『シェーン』を観たあとで、菊地秀行センセ(敬愛度:センセ > 先生)の『吸血鬼ハンター〝D〟』のことをいろいろと想起したので、漫ろに書いてみます。

「D」の世界観は、西暦12090年~という遠未来を舞台にしていながら、そのイメージは西部劇と西洋ゴシックホラーに依拠しています。

そのため、西部劇を鑑賞すると、ファンとしては「D」世界を想起せずにはいられないのであります。

なお、以下に記す事柄は、すべて私の勝手な想像であり、何かしらの情報源が存在するわけではないことをお断りしておきます。

 

 

 

こちらは「D」シリーズの1作目。

これはもろに「シェーン」オマージュですね。ストーリー、および、キャラクターの配置がそのまんま。

二人きりで農場を切り盛りしている姉弟が登場。

姉のドリスは、〝貴族の口づけ〟を受けたため、通りかかったDを雇い、吸血鬼になりきる前に、血を吸った貴族を滅ぼすよう依頼する。

Dは農場を手伝いながら、貴族の再襲撃を迎撃する態勢を整える。

弟のダンは、Dに憧れるが、戦いを終えたDは姉弟のもとを去る――。

というストーリー。ね、「シェーン」でしょ。

ラストに関して言及すると、「シェーン」のような別離のシーンはなし。

敵であるマグナス・リィ伯爵を斬り伏せたDの姿は、主の滅びとともに崩れ落ちた城の瓦礫と砂塵の中に消え、物語から退場するのである。

 

 

 

こちらは第4作の「D-死街譚」。

外部と遮断された空中移動都市に吸血鬼が出現、依頼を受けたDが乗り込むというストーリー。

ちょっとだけネタバレします。

第1作のメインキャラであったドリスとダンのその後を知る人物が登場。

「弟の方が一人前の男のように働いて姉をたすけていました」

この報告を聞いて、Dはかすかに口もとを綻ばせる。

第1作で、ダンは、自分が姉さんを守ると、Dと男の約束を交わしていたのです。約束が守られていることを知り、Dの心が温かいもので満たされたのですね。根っから無表情な男なので、あるかなしかの微笑を浮かべるくらいの変化しか見せませんが。

言及したいのは、ラストシーン。

空中移動都市から地上に戻ったDは、騎乗の人となって青い山脈が連なる荒野の彼方へ去っていく。それを見送るのは、姉弟の消息を報告した人物。

「カムバック」と叫びこそしませんが、第1作とのつながりを考慮すると、これってやっぱり「シェーン」オマージュなのじゃないかしらん。

 

 

 

こちらは第7作の『D-北海魔行』の下巻。

北の海辺の漁村を舞台に、謎の〝珠〟をめぐって死闘が巻き起こるという内容。

「シェーン」で、人は生き方を変えられない的なシェーンの述懐がありましたが、村人から漁師になれと誘われたDは、ちょっと心が揺らいでしまうのですね。吸血鬼を狩る殺し屋として旅から旅へ流れていく身の上に疲れてしまって、漁師として落ち着くのも悪くないかな、と。つまり生き方を変えることを試して見たくなったわけだ。

それで、ふだんは消して歩いている足音を、わざと立てて歩いてみる。ふつうの人間のように。

すかさず揶揄する〝左手〟(←Dに寄生している謎の生物)。

「人間の真似事をしてみたくなったか?」

このシーンは、Dの〝人間性〟を垣間見ることができたので、強く印象に残っています。

言い忘れていましたが、Dは人間と吸血鬼のハーフ(ダンピールという)であり、どちらの世界からもはみ出し者として扱われてしまう身の上なのですね。だから人間のように昼間も行動でき、かつ、吸血鬼のように強く戦えるのです。

足音云々のくだりには、ちょっと解説が要ります。

菊地センセのホラー原体験とも言うべき映画『吸血鬼ドラキュラ』で、ドラキュラ伯爵が階段を駆け上がるシーンがあるのですが、吸血鬼の異形性を演出するべく、伯爵の足音のみを消しているのだそうです。

吸血鬼は足音を立てないという「D」に見られる設定は、ここから来ていると私は勝手に思っています。

Dがたまに〝ヤモリのように〟壁を這って上り下りするのも、「ドラキュラ」の映画および原作小説の本歌取りでしょう。

 

「D」の映像化はアニメが2作品、他に鷹木骰子氏によるコミカライズが8冊ありますが、いずれも西洋風ダークファンタジー的なイメージです。天野喜孝氏によるイラストの影響力が大きいのでしょう。

それはそれで、もちろん素晴らしいのですが、西部劇要素を前面に出したビジュアル化という路線があってもいいのかな、と近ごろ思うようになりました。

男くさい、汗と埃が似合うようなD。――ダメかな?

 

 

 

 

鷹木骰子氏がDのファンアートを送ったところ、菊地センセから漫画描いてみない? とお声掛けいただいたことがコミカライズ実現の経緯だったと記憶しています(違っていたらごめん)。