参拝記①の続き。
拝殿。
拝殿。
御祭神は、菅原道真公。
御神体は、道真公の遺骨。
遺骨を納めた御廟神社であることが、大生郷天満宮が日本三天神を主張する理由です。
扁額。
陽光をあびて輝く紙垂が稲妻みたいでカッコよ。さすが天神様、清涼殿に雷を落としただけのことはある。
道真公の怨霊エピソードとして有名な清涼殿落雷事件は延長八年(930)。当社の創建から一年後の出来事ということになります。
本殿。
本殿。
拝殿に向かって左側に稲荷社。
稲荷社。
本殿の背後に塚。
右側のは庚申塚ですが、左側はちょっとわかりませんでした。
本殿後方に末社。
向かって右から、香取・鹿島社、八雲社、大国社、熊野社、春日社。
上記の向かって右隣にお社と塚。
お社は荒れた感じ。塚には「一天神宮」と刻まれていました。
上記の後方にも塚がありましたが、何となく足を踏み入れるのが躊躇われる雰囲気だったので、近づかず。
ズームで撮影。
拝殿に向かって右側に社務所。
拝殿の前方、境内の端に蚕影山神社(こかげさんじんじゃ)の石碑。
蚕影山神社は、筑波山地の山襞の中にある神社。多気山の北側の山腹に位置しています。方位的には筑波山神社の南方。
このあたりは、源護、もしくは平良兼の支配地だったはずですから、そこにある神社を勧請しているということは、将門との関係がもとはこじれていなかったことを暗示しているような気がします。
蚕影山神社は、正式には蠶影神社といい、全国にある蚕影神社の総社。
養蚕、製糸、機織りに関連する神社。
良兼の領地であった羽鳥(はとり)も、「服織(はとり)」の意であり、機織りが産業とされていたと推察されます。
筑波山麓一帯には養蚕にまつわる地名が多く、鬼怒川は「絹川・衣川」、小貝川は「蚕飼い川」が由来とも言われています。
もしかしたら、良兼が羽鳥で絹糸や絹布を生産し、将門が鬼怒川や小貝川を使ってそれらを流通させていたのかもしれません、あくまでも私の想像ですが。
親鸞上人礼拝の杉。
上人が当社を参拝した折り、手ずから植えたと伝えられています。
大正八年、社殿が炎上したおりに類焼。
もとはご神木として社殿の直前にそびえ立っていたといいます。
ちなみに、写真に不思議な光が写っているのは、レンズの汚れが原因です。パワースポット的なスピリチュアル写真を撮るのが夢ですが、いまだ叶わず。
古神札納所。
撮影していたら、足もとにキラリと光るものがあり、見ると、金色の小さな亀の縁起物(おみくじに付属しているアレ)でした。
これも何かのご縁だと思い、拾って財布に入れて持ち歩くことにしました。
金運アップするかな~。
(続く)