『人生の目的 旅人は、無人の広野でトラに出会った』を読みました。
著者は、高森光晴氏と、大見滋紀氏。
前者は、浄土真宗学院の学長、後者は同学院の上席講師です。
仏教の本。
「トルストイが衝撃を受けた、ブッダの寓話」――カバー袖に記されたこの一文に興味を惹かれて購入しました。
その寓話とは、旅人が、無人の広野でトラに出会った、というものです(タイトルのまんま)。
トラは「死」を象徴しており、旅人は何とかして逃れようとしますが、結局はどうにもならず、追い詰められて思考停止状態に陥り、目の前に垂れてきたハチミツに心を奪われる、そんなお話です。
ここで突きつけられている厳然たる事実。
それは、人は必ず死ぬ、ということです。
「死」というのは理不尽で、いつ襲ってくるかわからない。朝元気だった人が、夕方には事故や事件や災害で死ぬことだってあり得ます。
また、「死」は長幼の序など無視して襲ってきます。老いた者から順に死ぬなら、若者は心の準備ができますが、現実には、若者が先に死ぬことだってあり得ます。
迫りくる「死」を、忍び寄る「死」を、実感しながら生きている人は、ほとんどいません。
ほとんどの人は、自分は明日も生きるだろうと、漠然と、無根拠に思い込み、「死」を直視することなく、目先の欲を満たすことを優先して生きています(貪)。
そして、欲が満たされないと怒り狂います(瞋)。
まことに物事の道理をわきまえていない状態です(痴)。
これが人間という生き物の真実です。
また、「無人の広野」は、人が孤独であることを象徴しています。
どれほど親しい家族や恋人や友人にだって、心の奥底を100パーセント開陳することはありません。
他者に完全にわかってもらうことは不可能ですし、他者を完全に理解することも不可能です。
その意味で、人は孤独なのです。
人は独りでこの世にやって来て、独りでこの世から去るのです。
旅の道連れなどいない広野で、トラに出会い、この世から去るのです。
人は孤独です。
人は死にます。
こうして、はっきり真実を告げられると、いっそ清々しい気分になります。
真実はときに絶望をもたらしますが、ときに心を楽にしてくれます。
――と、このあたりまではよいのですが、この本は、ここから先、ちょっとあやしくなります。
孤独と死という絶対的な苦しみから逃れ、絶対永遠の幸福を得ることが人生の目的だと説きます。
その方法は、一心に阿弥陀仏を念じること。
これで救われます。
――そうだったっけ?
お釈迦さま、そんなことをおっしゃっていたかしら。
この本は、親鸞聖人の教えこそ、唯一絶対的に正しいと説いている本です。
親鸞聖人については、私はほぼ何も知らないので、肯定も否定もしないでおきます。