私の文章作法 | 物語の面白さを考えるブログ

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ちょっと気取った記事タイトルにしましたが、要は、文章を書くときに、どんなことに気を付けているかという話です。

 

最近、日本史の本を読む機会が増えています。

これが、なかなか、捗らない。

この手の本って、文章がわかりにくいことが多いのですよ。

ひとつの文の中に、修飾 ‐ 被修飾 の係り受けが、多数回、出てくるので、文の構造を把握するのに時間がかかります。

一読しただけでは、主語と述語を結び付けることができない、なんてことも度々あります。

構文を理解してから、内容の理解へ進むという、二段階の知的作業を強いられるので、読書スピードが上がりません。

内容を理解できないのは、日本史の知識が不足しているからなのですけど。

こちらの問題は、知識の増加とともに、徐々に解消されると思われます。――そう思いたい。

 

どういうことか、具体的に説明します。

前回の記事で紹介した『源氏の流儀 源義朝伝』を実例として使用します。

あらすじ紹介の文章を引用してみましょう。

 

鎌倉幕府を開いた源頼朝、そして、日本史上の稀代の英雄、源義経の父にして、太政大臣・平清盛の最大のライバルと目された男、源義朝。

 

難解とまではいきませんが、ちょっとわかりづらい文章です。

これを、いったん、うんと簡単にしてから、徐々に複雑化してみます。

 

源義朝は、源頼朝と源義経の父である。

 

源義朝を主語として、主語 ‐ 述語の関係が明瞭となるような文章にしてみました。

主語と述語の関係を示せば、

 

「源義朝は」-「父である」

 

このような構文となっています。

これを、少し複雑にするため、「源頼朝」と「源義経」を修飾してみます。

 

源義朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝と、日本史上の稀代の英雄である源義経の父である。

 

修飾 - 被修飾の係り受けが増えたことで、少しわかりにくくなりました。

さらに、「源義朝」に修飾を加えてみます。

 

平清盛のライバルと目された源義朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝と、日本史上の稀代の英雄である源義経の父である。

 

けっこう、わかりにくくなってきました。

さらに悪ノリして、元の文章になかった語を追加して、修飾を増やしてみます。

 

武士として初めて太政大臣に任じられた平清盛の最大のライバルと目された源義朝は、京都から独立した東国の武家政権である鎌倉幕府を開いた源頼朝と、日本史上の稀代の英雄であり判官贔屓の語源となった悲劇の武将である源義経の父である。

 

もう、一読しただけでは、何を言っているのか理解できない文章になりました。

このように、ワンセンテンスの中で、修飾 - 被修飾の係り受けが多すぎると、意味が不明瞭になります。

このことから、わかりやすい文章を書くためには、ワンセンテンス中に含まれる係り受けの量を調節することが重要だと知れましょう。

今度は、文章を区切ることによって、ワンセンテンス中に含まれる係り受けの量を減らしてみます。

 

源義朝は、源頼朝と源義経の父である。

頼朝は、鎌倉幕府を開いた。それは、京都から独立した東国の武家政権であった。

義経は、日本史上の稀代の英雄である。判官贔屓の語源となった悲劇の武将でもある。

また、義朝は、平清盛の最大のライバルと目された。

清盛は、初めて太政大臣に任じられた武士であった。

 

このくらい分解すれば、大分わかりやすくなったでしょう。

反対に、係り受けの量を減らして、文章を増やしすぎると――構文を単純化しすぎると、小学生の作文みたいな、格調のない文章になってしまいます。恰好をつけるためには、多少の複雑さも必要です。

少々突っ込んだ話をすれば、単純な構文は、読者が理解に費やす時間が少なくて済みますから、読書の体感時間は短くなります。

構文が複雑になるほど、体感時間は伸びます。

この作用を利用し、読者の体感時間をコントロールすることで、文章に「緩急」を創出することが可能となります。

実践してみます。

次に示すのは、私がでっち上げた小説の一場面です。

戦士が、剣で、敵と戦っている場面だと思ってください。

 

剣を握る腕に力をこめた。

薙いだ。

ゴッ――

骨を断った、手応え。

噴きあがった鮮血の紗幕の向こうに、宙を飛ぶ首が見えた。

 

最後の一文で、構文を複雑にすることによって、読書スピードを遅らせています。ここで、読者は、場面を映像で想像する時間的ゆとりを持ったはずです。

前半、単純な構文を用いたのには、戦士の精神状態を表す意図があります。

戦場で夢中で戦っているとき、複雑な思考はしないでしょうから、それを表すには、短めの文章を連続させるのがいいと考えました。

加えて、彼の肉体感覚にフォーカスすることで、戦場の臨場感を読者に提供しています。コントローラーが振動する格闘ゲームの仕掛けみたいなものです。「ゴッ」という擬音で聴覚も刺激しています。

最後に、眼前の敵を斃したことで、彼には、ほんの少し、状況を見わたす余裕が生まれました。描写を、肉体感覚から視覚情報に切り換えることで、それを表現しています。

以上、お目汚し、失礼しました。剣の一閃で首がポンポン飛ぶわけないだろ、というツッコミはご勘弁願います。鬼の頸を斬るマンガと、『吸血鬼ハンター〝D〟』の読みすぎで、感覚がおかしくなっているのです。

 

――と、こんな具合で、修飾する語・される語の数に気を配りながら、私は文章を書いています、というだけの話でした。

頭で考えている時点では、すぐ終わる話だと思っていましたが、実際に文章化してみたら、けっこう長文になってしまいました。

完成した文章が、構想とちがうものになるのは、よくあること。

書いてみなければ、わからないものです。