2018年にNetflixで配信された作品。
『デビルマン』の原作のストーリーを、最後まで映像化した初のアニメ作品ということで、観たかったんですよ。
Netflixを利用していないので、観られないかと思っていたら、レンタル屋さんにあったので、借りてきました。
全10話。
※ ネタバレあり感想です。ご注意願います。
原作付き映像化作品の場合、私は、基本的に原作重視の立場をとりますが、原作原理主義であるつもりはありません。
原作を改変していても、原作に匹敵する、ないし、上回る面白さがあればよい、と考えます。
『デビルマン』の原作漫画が発表されたのが、1970年代。
『DEVILMAN crybaby』は、2010年代を舞台としており、時代に合わせたアレンジがなされています。
これは別にかまいません。時代に合わせてアップデートするのは、ある意味、当然のことなので、マイナス要素とはなりません。
監督が自身の解釈でアレンジするのも、全然オッケー。
「デビルマン」は、創作者の意欲を刺激してやまない衝撃的な作品であり、これまで多くの作家がアレンジを試みてきました。豪華作家陣が参加した『ネオデビルマン』というトリビュート・アンソロジーもありますし、原作者である永井豪先生自身、セルフ・オマージュ、セルフ・パロディをくり返し、「デビルマン」を再生産しています。
本作の監督・湯浅政明氏は、「デビルマン」という素材を、どのような料理に仕上げたのでしょうか。
一言で評価のしづらい作品です。
手もとに、「面白い」「つまらない」と書かれた二枚のプラカードがあったとして、どちらを挙げるのにも、なにがしかの躊躇がともないます。
クライマックスからラストにかけて、涙腺が潤んだので、人の心を揺さぶるパワーを持った作品であることは間違いありません。
タイトルの「crybaby」――〝泣き虫〟が示すとおり、本作のデビルマンは、他人のために涙を流します。
このアレンジも嫌いじゃない。
ストーリーが駆け足でわかりづらい部分があったり、神の軍団の放つ光輝が安っぽく見えたりと、不満点もありますが、それは枝葉末節であって、評価の根幹をなすものではない。
では、この戸惑いにも似た躊躇いは何なのだろう――?
本作に否定的な岡田斗司夫氏は、「勘どころをはずしまくっている」と仰っていましたが……。
ダイジェスト映像を観て、気付きました。
ああ、そうか。本作は、〝愛の物語〟になっちゃってるんだ。
愛を知らないサタン=飛鳥了が、不動明を失ったあとで、「愛」の存在に気付く物語。
原作はそうじゃないよね。
言うなれば、〝愛と憎悪の物語〟だ。
しかも、「憎悪」が前面に出ている。
サタン=飛鳥了は、デーモン族を愛するあまり、神を憎んで戦いを挑み、また、人類を滅ぼそうとした。しかし、人間・不動明を愛したがゆえに、計画が狂い、結局は何も手に入れられずに破滅を迎えてしまう。
愛が深いほどに、憎しみもまた深まる。愛する者――牧村美樹を失った不動明は、すべてに絶望しながらも、元凶であるサタン=飛鳥了と闘わずにはいられなかった。
徹底した憎悪が行き着いた場所にあったのは、「虚無」。
「愛」すら無に帰してしまう、人智を超越した、圧倒的な「虚無」だ。
最後には、何も残らない――。
この結末に、原作読者は、言葉もなく、うめき声さえ出せず、ただただ立ち尽くしたはずだ。
しかし、『DEVILMAN crybaby』は、「愛」が残っちゃってるんだね。
ラストシーンでは、ちゃんと神の軍団が降臨しているので、あのあと無に帰するのかもしれないけど、鑑賞時の印象としては、「無」というより「愛が残っている」って感じだ。
「愛」すら無意味化する「虚無」までを描き切っていない以上、本作は原作よりスケールダウンしていると言わざるを得ない。
「面白い」の札を挙げるのに躊躇いが生じた理由は、これか。
なるほど。
アニメ作品としては、旧OVAが至高だと思っています。
ラストまでアニメ化すると思っていたのに、シレーヌ編以降が作られなくて、残念。