テクニック(技術)は真心を表現するためにある――
私はそう思っています。
例えば、「ものづくり」において。
いいものを作ってユーザーに喜んでもらいたいと思っていても、技術がなければ、いいものは作れません。
技術があっても、ユーザーのことを考えていなければ、品質的にはいいものが出来るかもしれませんが、きっとユーザーは使いにくいと感じるでしょう。
例えば、「傾聴」において。
あなたの話をちゃんと聴いていますよ、ということを伝えるために、「うなずく」「あいづちを打つ」「相手の使ったフレーズをくり返す」などのテクニックを用います。
テクニックを用いることで、(ちゃんと聴いてもらえているのだろうか?)という話し手の不安をケアすることができます。
テクニックがなければ、ちゃんと聴いていたとしても、相手にはそれが伝わらないので、相手は不安になるかもしれません。
ところが、ここで、勘違いを起こす人がいます。
テクニックさえ用いれば、話を聴いていなくても、相手は勝手に安心してくれる、と。
うなずいているだけの、聴いているふり。
あいづちを打つだけの、聴いているふり。
相手のフレーズを鸚鵡返しにするだけの、聴いているふり。
そうやって、上手くやりおおせたと思っているのは、自分だけ。
「真心の欠如」は、相手に伝わっていますから。