アフター・アース | 物語の面白さを考えるブログ

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ネットで評価をチェックしたら、あまりよろしくなかったのですが、私の感想としては、すごい面白いわけではないけれども、言うほど悪くはないかな、といったところ。

 

SF作品ではあるものの、SF部分はあくまで舞台装置にすぎず、親子の絆と子供の成長を描くのがメインの映画です。実際、最初の設定では、人里離れた山奥が舞台だったそうな。SF的アイディアありきの作品ではないのです。

ウィル・スミスと、息子のジェイデン・スミスが、作中で父子を演じています。息子の方がメインで、親父はサブ。ウィル・スミス目当ての方はご注意願います。

 

ストーリーは――。

環境破壊で地球に住めなくなった人類は、他惑星へ移住。

それから1000年後。

主人公親子の乗った宇宙船が、事故に遭い、地球に不時着する。

生存者は彼ら二名だけ。

救難信号の発信機は、100Km離れた地点に落下。

父親は重傷で動けないので、息子が取りに行くことになる。

行く手には、厳しい気候と危険な動物が待ち受けていた。

父親は、息子の状態をモニターできるようにして、遠隔で指示を送るが、息子は、若者特有の未熟さから、嘘の報告をしたり、指示に従わなかったりして、窮地に陥る……。

 

息子が恐怖心を克服するストーリーなのですが、成長物語というよりは、スピリチュアルで言うところの「今ここ」についてのお話という印象を受けました。

――「危険」は実在する。

――しかし、「恐怖」は実在しない。

「恐怖」はどこから来るのか?

「恐怖」は、「未来」を想像する、自己に関するストーリーの中に存在している。

意識を「今ここ」に集中すれば、「恐怖」に惑わされずに、為すべきことが見える。

このようなメッセージが、この映画の主題だと感じました。

SF的設定がどうの、ストーリー構成がどうの、という視点で鑑賞すると、あまり面白いとは思えないかもしれません。しかし、「恐怖」の本質について述べた映画だと思って観ると、有意義な示唆がもらえます。

 

「恐怖」を映画的に可視化するための設定が、異星人の造った対人間用のクリーチャー。

移住先の惑星には、先住民がいて、人類と戦争になったのです。先住民は、一切登場しませんけど。

先住民は、人間狩りのための生物を造り出し、戦争に投入しました。

〝アーサ〟と呼ばれるその生物は、視覚を持たず、人間の発する「恐怖」によって、人間の位置を感知します。

「恐怖」を抱いた人間は、アーサに襲われ殺されてしまいますが、「恐怖」を持たない人間は、アーサの見失うところとなり、自由に行動できます。これを〝ゴースト化〟と呼びます。

ウィル・スミス演じる父親は、〝ゴースト化〟を体得し、対アーサ戦において英雄的な戦果を挙げ、最高司令官に登り詰めた人物。

父親が偉大すぎると息子が苦労するのは世の常。ジェイデン・スミス演じる息子もまた、その例に洩れず、加えて、目の前で姉をアーサに殺されたトラウマを持っているので、とにかく自分の優秀さ(僕は無力じゃない!)を周りにアピールしようとして粋がり、集団の秩序を乱しがちになります。

不時着した宇宙船には、兵士の訓練に使うために捕獲されたアーサが積み荷として載せられており、これが墜落の衝撃を生き延びて、地球に放たれてしまいました。

ストーリー的に容易に想像できるとおり、このアーサと息子との対決が、クライマックスとなります。

そして、これも容易に想像できるのでネタバレしてしまいますが、息子は土壇場で〝ゴースト化〟に成功します。

アーサに目くらい付けとけよ、異星人、とツッコんだら貴方の負け。

『アフター・アース』 とは、そんな映画(だっけ?)。

 

 

 

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