過去回想。
黒死牟――継国巌勝から見た、弟・縁壱と過ごした幼少の日々。
子の名前には、親の願いがこめられています。
巌勝は、強く、いつも勝ち続けられるようにと願い、父が名付けました。
縁壱は、人と人との繋がりを何より大切にと願い、母が名付けました。
(20巻おまけページより)
では、「継国」は?
ちょっと発音しづらいこの姓に、作品の生みの親である吾峠先生は、どのような意味をこめたのでしょうか。
参考までに、継国は実在する名字で、「つぐくに」と読み、全国に四十人ほどいらっしゃいます。巌勝・縁壱兄弟は「つぎくに」。
文字どおり、「国を継ぐ」の意だと私は思います。
継国家が、武家としてどれほどの勢力・地位を有していたかは不明ですが、継国家の子として生まれた者は、家督を継ぎ、国を継承していかねばならない定めでした。
そのような宿命を、「継国」というネーミングは、端的に表しているのではないでしょうか。
跡目を相続できるのは一人のみ。
双子が生まれた場合、どちらか一人は、日陰者となることを意味します。
跡目争いを未然に防ぐため、兄弟の父は、生まれつき痣のある弟を殺害しようとしました。
つまり、この兄弟は、彼らの意志とは関係なく、生まれ落ちた瞬間から、ひとつしかない椅子をめぐる過酷な生存競争の中で生きることを宿命づけられていたのです。
一読者としては、本編で描かれた兄弟の結末が悲しすぎて、彼らが仲良く暮らす〝もしも〟の世界を夢想せずにはいられないのですが、最初から、そのようなルートは存在しなかったのかもしれません。「継国」の宿命によって。
後継者に据えられた巌勝は、衣食住すべてにおいて、弟より優遇されて育てられました。
父親の愛情は、すべて巌勝に注がれていました。
母親は、二人の子に平等に愛を注ぐよう努めたようですが、巌勝がそれをどれほど実感していたか。縁壱が母にべったりな様子を、憐れみを持って上から目線で眺めるようでは、あやしいものです。
立場が逆転したのは、縁壱に剣の才があると発覚してからでした。
剣技の才能。
生き物の身体が透けて見える特別な視覚。
高い身体能力。
どれも巌勝にはないものばかり。
剣に才覚ありとは認められていたものの、縁壱の才能の前では霞んでしまいます。
父の愛情の天秤は、縁壱に傾きました。家長の座は縁壱に――。
その風向きの変化に、巌勝が鈍感でいられるはずがありません。
彼ら兄弟は、過酷な生存競争の中にいたのですから。
勝者はすべてを与えられ、敗者はすべてを奪われる。
侍になる夢も。
巌勝の絶望はどれほどのものであったでしょうか。物心つく前から優遇され、弟の惨めな境遇を目の当たりにして育っただけに、計り知れません。
ですが、これもまた武家の宿命と、どこかで割り切っていた可能性もあります。
それに、巌勝はすべてを奪われるわけではありません。
父の愛情は去っても、母の愛情は変わらず注がれています。
その愛があれば、武家社会から抹殺され、僧侶の身となっても、まっとうな人間として人生を歩めたかもしれないのですが。
その道も、母の逝去によって閉ざされます。母の愛が注がれることは、もはや、ない。
さらに追い打ちをかけたのが、母の日記によって知らされた真実。
母は、左半身が不随となる病を患っていました。
巌勝は、母が死ぬまで、その事実を知りませんでした。
しかし、縁壱は――。
(私はその時 嫉妬で全身が灼けつく音を聞いた)
(縁壱という天才を心の底から憎悪した)
巌勝のモノローグ。
言葉の表面だけをなぞると、縁壱の才能に嫉妬したと解してしまいがちですが、嫉妬の理由は、母の愛をすべて縁壱に持っていかれた(と感じた)から――ですよね。
母の病気に最期まで気付くことができなかった自分よりも、常に病身を支えてくれていた縁壱を、母は愛したにちがいない。
そのように思い込んだとしても、無理のない状況でしょう。
継ぐべき家も。父の愛も。最後の砦であった母の愛も。
すべてを縁壱に奪われた。
だからこそ、〝心の底から憎悪した〟。
ずっと考えていました。
なぜ、黒死牟には、目がたくさん付いているのか?
顔にある六つの目は、縁壱の剣技を見切るため。
〝縁壱零式〟の六本腕とも符合するため、当初はそう考えていました。
そして、それが間違いではないと、今も思っています。
しかし、それだけでは不十分な気がしてなりませんでした。
それなら、刀身を埋め尽くした目は、何を意味しているのだろう?
ずっと考えて、黒死牟戦を読み返し、彼のアイデンティティーは〝侍〟であって、「刀」はその象徴なのではないか、と仮説を立てました。
その「刀」が「目」に塗れているとは、どういうことなのか。
〝透き通る世界〟を見ることができる、特別な〝目〟。
その〝目〟こそが、巌勝から母の愛を奪った元凶である。
その〝目〟こそが、縁壱の優れた剣技の秘密であり、父の愛を奪った元凶である。
自分にも、あの〝目〟があったなら――。
兄弟間で、注がれる親の愛情に差別的な格差があった場合、生じる嫉妬・憎悪を、カインコンプレックスと言います。
巌勝は、まぎれもなく、カインコンプレックスを抱いていました。
単純に、縁壱が、自分より優れていたから、嫉妬したのではありません。
そのせいで、親の愛情が偏ったから、嫉妬したのです。
巌勝にも、平等に愛が注がれていたら、十分な自己肯定感が育ち、優れた弟を、むしろ誇りに思ったことでしょう。
しかし、勝者を一人と定める「継国」の宿命が、それを許しませんでした。
〝目〟の有無によって、勝者と敗者は分かたれたのです。
巌勝は〝目〟が欲しかった。
〝目〟さえあれば、両親の愛を勝ち取ることができ、強い侍になる夢も叶えられたはず。
しかし、それは叶わなかった。
そして彼は鬼となった。
鬼の異形には、人間時代の強い想念が反映されます。
「目によって埋め尽くされた刀」――
そこには、継国巌勝という人間の抱いた、嫉妬、憎悪、絶望、羨望、夢――そのすべてが表象されているような気がしてならないのです。