煉獄杏寿郎 VS. 猗窩座の激闘が続く!
一話経過したら、煉獄さんがボロボロである。
これは、吾峠先生お得意の、
「省略による圧縮」という手法であります。
戦いの過程を詳細に語るのではなく、
間をすっ飛ばして結末を見せることで、
過程の凄まじさを読者に想像させる戦術です。
大正時代の汽車の運行スケジュールは知りませんが、
夜汽車が転覆してから夜明け近くまでって、
いったい何時間戦っていたんだ、この人たち。
右腕で煉獄さんの鳩尾を貫通した猗窩座は、
彼の強さが死によって失われるのを惜しみ、
鬼になれと再び勧誘する。
「お前は選ばれし強き者なのだ!!!」
その言葉を聞き、杏寿郎の脳裏に去来したのは、
幼き日の母との思い出だった。
強く生まれついた者の責務とは、
弱き人をたすけること。
天から賜った力で、
人を傷つけること、私腹を肥やすことは
許されない。
そのように教えた母・瑠火は、
病床で、幼き杏寿郎を抱きしめるのだった。
「鬼滅」のテーマが如実に表された
名シーンです。
近く寿命が尽きることを悟った母は、
残される我が子を、ありったけの愛情をこめて
抱きしめました。
その感触は、言葉で語るよりも、
多くのことを杏寿郎に伝えたことでしょう。
そして、同時に、人生の指針を与えました。
自分がいなくても、人の道を踏み外さぬように。
この母の教えと温もりが、
炎柱・煉獄杏寿郎の強さの源です。
で、あるならば――
強者を育てた母も、また、〝強き者〟である、
と言えます。
鬼の価値基準では、病に倒れ死ぬ者など、
〝弱者〟以外の何ものでもありません。
しかし、人の〝強さ〟は、鬼のそれとは異なります。
次の世代へ、〝意志〟を託し、繋いでいく強さ――。
生命の連環が生み出す強さです。
個体としての強度に強さの基準を置く鬼とは、
根本的に異なるのです。
「鬼滅」流の 『人間讃歌』 は、
『心を繋ぐ生命の賛歌』 と言えましょう。
鬼の勧誘に諾と応えるはずもなく――
煉獄杏寿郎は猗窩座の頸に刃を喰い込ませ、
殴りに来た左腕を片手で掴み止める。
両者、身動きのできない膠着状態。
そのとき、猗窩座は、遠方の山の端に
曙光を見た。
旭日が昇り鬼の身を焼くのが先か、
昇り切る前に人の身が朽ちるのが先か。
極限の勝負の行方は――!?
次回へ続く!!

