◇第40話◇ ヒノカミ | 物語の面白さを考えるブログ

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死の直前に人が走馬灯を見る理由は

一説によると

今までの経験や記憶の中から

迫りくる〝死〟を回避する方法を

捜しているのだという――

 

炭治郎が走馬灯の中から探り当てたのは、

亡き父が〝ヒノカミ神楽〟を舞う姿。

瞬時にヒノカミ神楽の呼吸に切り換え、

神楽の動きを模して刀を振るうと――、

必殺のはずだった累の糸を切断できた!

 

このシーンを初めて読んだときは、

なぜ、神楽の動きが剣技になるのか、

釈然としないものが残りました。

でも、日の呼吸の剣士と、竈門家の先祖との

接点が描かれた今では、納得できます。

もともとは、剣術の「型」ないし「演武」だったものを、

「神楽」として継承したのでしょう。

 

「炎」の字が書かれた布で顔を隠し、

八支刀を持って舞うヒノカミ神楽の衣装に、

ちょっと怖いくらいの神秘的な迫力を感じます。

絵の力ですね。理屈抜きで心に迫る説得力。

ド田舎のお盆の風景など見に行くと、

これ、絶対、仏教行事じゃないだろ、と思ってしまう、

おどろおどろしさに出会うことがあります。

仏教のふりをした、土着神への祭儀だろ、みたいな。

そんな怖さが、ヒノカミの衣装デザインに見受けられます。

 

眠りに落ちた禰豆子の意識に、

亡き母の霊が語りかけます。

「今の禰豆子ならできる」と。

禰豆子が血の成分を変化させ、何事かを成そうとしていることを、

あの世の存在は見抜いているようです。

この言葉をきっかけに、禰豆子は目覚め、

血鬼術を行使します。

 

燃える血。爆ぜる異能。血鬼術――〝爆血〟。

禰豆子の血に濡れた糸は焼き切れ、

禰豆子の血が付着した炭治郎の刀は、

爆発により加速。

糸よりも硬度の高い累の皮膚を裂き破り、

ついに頸を斬った!

 

こうして見てみると、兄妹ともに、

炎系の技の使い手なのですね。

炎属性はいかにも主人公っぽい。

参考までに、「遊戯王」シリーズでは、

主人公の力が闇属性で、

世界を破滅させる敵の力が光属性です。

世間の感覚とズレている遊戯王。

だが、そこがいい……。

 

兄妹の絆を両親の庇護が後押しする形で

繰り出された剣技、悪鬼の頸を断つ。

――土壇場でのご都合パワーアップと

とれなくもないですが、ともかく決着。

(と思わせておいて、実は……)

次回へ続く。

 

 

参考:

走馬灯は、別名、回り灯籠、回転灯籠。

二重枠の構造を持ち、内枠の絵を、内部の光源によって、

スクリーンとなる紙を貼った外枠に映す仕組みである。

内枠の回転により、絵が流れるように動くことから、

記憶が次々と脳裏をよぎる表現として、

走馬灯の比喩が使われるようになった。

「鬼滅」では「死の直前に走馬灯を見た」というふうに

書かれることが多いが、正確には、

過去の記憶を〝走馬灯のように〟見た、と言うべきである。

 

ゆっくり回転するので、死に際にこの速度では、

〝緊急回避〟は不可能であろう。

 

 

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