雄鶏の元気な雄たけびで目が覚めました。

 

昨晩はよく眠れるはずだったのに、なぜか何回も起きてトイレ、全然落ち着かず、熟睡できませんでした。(涙)

 

さっさと支度して、朝食に向かいます。サイドテーブルには、甘い菓子パンやトースト、色んな種類のジャム、ヌッテラ、クラッカー、クッキーなど、、、各自、コーヒー、お茶、好きな飲み物を用意します。一般的なイタリアの朝食はこんな感じです。Iちゃんは、グルテンフリーのパンとサラダを、事前に頼んでいたようで、お弁当用に手際よくサラダサンドとジャムサンドを作っていました。

彼女はさっさと1番に出発したいのに、女将さんがのんびりしているので、結構イラついているのがわかりました。というのも、女将さんは、パスポートなどの身分証明書と、スタンプを押してもらう巡礼手帳を昨日のうちに皆の分全部、取り上げておりまして(言い方よ)支払いもチェックアウトも証明書等返却も、朝食後にまとめてするからと、宣言していたのでした。『天空の城ラピュタ』ドーラおばさんのような人なので(雰囲気と大きさ)誰にも文句は言わせないという感じでした。

 

私はIちゃんと、Cさんと一緒に出発することになっていて(夫が1人で歩く私を心配して話をつけた)、颯爽に朝食を終えて、部屋に戻り出発準備をしました。寒い時用に、分厚い長袖長ズボンのインナー上下をわざわざ買って持って来ていたのですが、夜でもそれほど寒くなく、この先も使わないと思ったのでこの部屋に置いて出ました。(誰か使ってくださいとメモ置きしました)少しでも荷物を軽くする魂胆です。

 

食堂に戻ると、丁度、IちゃんとCさんがチェックアウトを済ませていたので、私もパスポートと巡礼手帳を受け取って、まだ食堂にいるみんなに挨拶をして、すぐに3人で宿を後にしました。

 

 

 

 

以前紹介した、こちらのサイトでは、北の道巡礼コースは8日間の日程になっていて、それによると2日目の行程は、ピエーヴェ・サント・ステファノから、サンセポルクロまで(上の地図のオレンジ線、35km、所要時間12時間、難易度マックス)なので、それ、私には無理ですやん、と旅行計画段階で思ったんですね。

ですが、よく説明を読むと、もっとやんわり行きたい人は途中で宿泊し、1日の距離を2日に分ければよいと、お勧めしてありました。

 

 

そこで、情報収集して、こちらのサイトを参考にさせてもらいました。こちらでは、ローマからアッシジを通ってラ ヴェルナが終点というふうに、出発と終わりが真逆のコースなのですが、アッシジーヴェルナ北の道の間が、10日間に分けてあり、ルートもほとんど同じで、更には宿泊施設の情報も詳しくて、旅行準備段階で、随分と助けられました。

 

そのようなわけで、今日の行程はピアン デッラ カパンナまで、約17kmです。上のWikiloc地図では真ん中の黄色い矢印の地点です。その下の標高図では、真ん中くらいの青い印の所(17.4km、標高1035m)です。出発は432mから一番高い所は1143mです。

ブログを書くことになって、調べたところ、500m以上の登りがあったらそれはトレッキングではなく、山登りの範疇になるとのことなので、この日は711m上るという事で、山登りの日と言えるようです。

 

最初は町の住宅地の中を通って行きました。足の速いIちゃんが先頭を行き、その後をCさん、私がついて行きます。いきなり標識を見過ごし、間違った道を進み、ベランダに出ていた地元のおっちゃんに、「こっちちゃう、あっちの道やでー」と注意されてしまいました。てへぺろのIちゃんをみて、GPSアプリを使わず、ガイドブックの地図を頭に記憶しているIちゃんでも間違うことはあるのだと、少し安心した私でした。

 

さて、山道を入って行き、しばらく行くと上り坂が続き、さすがに私は若い2人について行くのが必死になってきました。まあこれは想定していたことですが。

GPSアプリの操作にまだ慣れていないので、宿から今日のルートの山道までたどり着く方法がわからなくて(次の日には学んだ)、最初の30分ほど一緒に行って欲しかったのでした。もちろん、夫は、私が1人で歩くのが心配で、誰かと一緒に歩いてほしいことはわかっていましたが、そんなことは私は希望していません。

カップルやら、友達同士で歩いている人たちもいますが、基本、1人で歩く計画をしてきた人は、ずっと1人です。それぞれ、歩くスピードもルートの選択も違うし、休んだり、写真を撮りたいタイミングだって違います。道の選択、決断にしても、後で間違った時の責任転嫁問題(我々夫婦のように)💦なども避けたいですしね。大人はそれぞれ自己責任で歩くのです。

 

私は1人で歩く覚悟は出来ていたので、先を行く2人に声をかけました。

「ここからは、私のペースでゆっくり行くので、お別れです。2人とも、気にせず先に行っちゃってくださーい!」

2人は、分かった、とすぐ納得してくれました。Cさんが3人で記念写真を撮ろうと言ってくれ、写真を撮った後、2人の後姿を見送ったのでした。

Iちゃんはこの日、Cさんと私が予定している所より、もっと進んだ先の宿泊所に泊まり、、、となると、その後の日程も違ってくるので、もうこの先会うことはないかもしれないと思いました。そして想像していた通り、それがIちゃんを見た最後となったのでした。(天に帰ってしまったみたいな言い方やめれ)

私は時々止まっては、お花や、風景などの写真を撮りつつ、ゆっくりと自分のペースで進んで行きました。 まだWikilocアプリになれていなくて、ちょっと道を間違えては、『間違え警報』(間違った方向に進むと鳴る)を鳴らしつつ、黙々と歩きました。そうです、自然の中を1人で歩くという事は、歩く瞑想なのです。私は1人歩きを存分に楽しんでいました。

 

少し行くと、小さな湧き水の流れが、道を横切っていました。思いついて、持ってきていたあのホタテ貝を洗い、自分の額と首筋を水で清めました。

 

 

 

まだこの頃は余裕で、楽しくハイキング気分で歩いていましたが、その後、初の難関が現れました。

 

砕けた石だらけの滑りやすい急斜面です。岩場なので大きな木は生えておらず、目指す頂上付近まで見通せます。

あの上まで登るの?マジか?と躊躇しましたが、白赤の小さい標示があったので心を決めて登り始めました。(必死なので、もちろん写真なしです)

這いつくばって、ちっちゃな藪?っぽいものを時々つかませてもらって、怖いので、後ろを振り返りもせず、無我夢中で20分くらいかな、なんとかやっと岩場を登り、頂上の草地にたどり着きました。

 

少し息を整えて、さて、今度は 下りです。 有刺鉄線柵があり、それに沿って下り道を進んでいくと、アプリの『ルート外れてるよ警報』が鳴りました。

 

いきなり頭に???マーク。

あれ?え?いや、この道しかないし、どゆこと?

 

他に道があるのかなと、元の頂上付近に戻ってもわかりません。数十メートルであっても、自分が間違ったせいで坂道を登って引き返すのはのは、無駄に体と神経が衰弱します。

通る人が少ないから道が雑草で埋もれてるのかもと、改めて周りを見回しながら、何度となく行き戻りつつ探して、を繰り返して途方にくれてしまいました。戻る時は、逆方向に進んでいるという合図でアプリの自分の道の色が赤色に変わるので余計に苛立ちました。

よくよく考えてみると、詰まるところ、砕け石の急な上りはアプリの示すルートではなかったのかな、、、と。その上り斜面はすごく急だったけれど、平面的に見れば距離的にはそれほどではなく、そして、方角的には間違っていなかったからなのでしょう、石の斜面を登っている時はアプリの警報が鳴らなかったから、ルートから外れていると全然気づかなかったのです 。最初に見た赤白の印は巡礼道の印ではなく登山道の印だった模様です。(あちこちで、色々と標示は混じっている)がっくり。

先ほどの石の急斜面を降りて、改めてアプリルートを探すか?いやそれはあんまりだ、 かなりの損失 、それは悲しすぎる。せっかく頑張って登った苦労が水の泡だ。それは嫌だ 。とにかくここにも山道はあるんだからルートに繋がる道があるはず、と、無理やり細い道を外れて途中にあった鉄格子も潜って転びながら下って行こうとしたけれども、だめでした。現在位置として私がそこに立っていて、私の位置は地図上に見えているルートには重なっているのに、実際の目の前に道はないのです。まるで別の次元に『本当の道』があるようでした。

このまま道なき道を突き進むのは無理ということで、また頂上地点に戻りました。疲労と焦りで実際どのくらいだったかはわからないけど、そんなこんなで30分くらいは経っていたと思います。

 

ふと前を見ると頂上付近の鉄格子の柵の一か所に、開閉できる杭があり、門のようになっていました。そして、それには鍵がかかっておらず、開けて入ってみると、なんとそこは花畑が広がっており山の頂上を示す小さな標示がありました。そのまま下り道を進んでいくと何のことはない、すぐにアプリのルートに合流できたのでした。

結局のところ、だいたい方向が同じであれば別の道であってもアプリの警報は鳴らず、知らぬ間に違う道に進んでしまう可能性があるという事、よく地図を拡大して、こまめにチェックをしなければならない事を学びました。

やれやれ。

だいたい、このアプリのルートは上級者向けではないので、つまり、まあまあの人に推薦できる無難なルートが選ばれているはずであり、結構な急斜面は、まず疑ってかかること、そこに標示があっても他の登山ルートの標示である可能性があり、それが自分の使用しているアプリの巡礼ルートと同じとは限らないということなのです。

 

天気予報では午後2時半には雨が降り始めるということだったので、焦りつつ、歩みを速めました。するとアスファルトの車道と交わる場所に出くわしました。

ちょっとしたカフェテリアと、いくつかの店がありましたが、外にいたご夫人に挨拶しただけで、すぐにアプリ地図をチェックしました。再び山道に入って行った後で、早歩きしていた私は驚くことにCさんに追いつきました。彼はさっきのあのカフェで休憩したとのことでした。

もちろん、すぐにその後、引き離されたけど、私は彼と比べると歩くのが遅いので1時間以上は軽く差がつきます。私はあの間違った山頂ルートを行くことで、少し迷って苦労はしたけれども、Cさんが30分カフェで休憩していたことを差し引いても追いつけるぐらい、結果的にはかなりショートカットになっていたのだと今では自負しています。

 

それからは舗装はされていないが車が通れるほどの道幅で、いくつもの門を開け閉めして通りました。紐や針金がひっかけてあるだけで、鍵はかかっていませんでしたが、冬には通行止めになるのかなと思います。また、大型動物が通らないように、という意図もあるのかもしれないです。

 

道中では向かいから来るカップル(つまりベルナ行き)とCさん以外には誰にも会わなかったし、誰にも後ろから来て追い抜かされることもありませんでした。本当に1人歩きでしたね。

 

今日は8時に出発して3時半に目的地にたどり着きました。雨が降る前に宿にたどり着いて本当によかったです。

 

庭でCさんと夫が迎えてくれました。他には先着の、初めてお目にかかったM&Ce夫妻に挨拶しました。最初に夫が宿に着いて待っていたところ、Gさんという赤毛の女性が通り過ぎ(彼女はもっと先の宿泊所に行く)東洋人女性が違う道を行くのを見かけたと言ったので夫はえらく心配していたそうな。しかしその後、Cさんが到着して、私に会ったことと、私が間もなく来ると言ってくれたのでほっとしたみたいでした。

 

宿は3時半に開くという張り紙があり、3時半はすでに過ぎていましたが、雨が降ってきたので、皆しておとなしく軒下のベンチに腰を下ろして待っていました。

 

夫はと言うと、今日から 別行動で昨日の宿の人が車で送ってくれるということにはなっていましたが、話がちゃんと通じていなかったことが発覚して、道の状態が悪いので、宿の2km手前で降ろすとのことでした。しかし結局12kmも歩かなくてはならなかったらしい。今日は1日のルートを2日に分けたので、この宿は、村ではなくて山道のそばにある、周りには何もない宿なので、夫を車で送ってくれた前日の宿の女将の旦那さんはきっと道をよく知らなかったのだろう。

と言っても、私よりずっと後に出発してそして私より数時間も前にについているのだから12キロではなく、もっと短かったとは思うが。彼は一人で途方にくれつつ、途中で出会う人たちに行き先を確認しつつ無事にたどり着けたので良かったです。前日と違って1人で歩いた彼は、自分のペースで歩けて、なお、自分と向き合って内観でき、とてもいい時間になったとドヤ顔で感想を述べていました。

4時くらいになってから、マテオという瘦せ型で高身長の若者がやってきて、宿をオープンしてくれました。彼は、オーナーではなく雇われのマネージャーで、 1人で、受付、掃除、料理、全てこなすのです。まずは、お部屋を整えて用意するから待っててと言われ、私たちは 暖炉のある食堂で お茶を飲んだりしておしゃべりしながら待ちました。

 

部屋に通されてからは、夕食までの時間がたっぷりあったので、ゆっくりシャワーに入り、荷物を整理したりして過ごしました。両足の指にいくつか水ぶくれができていたけど大したこともなく、安心しました。

 

1日目から巡礼仲間になったM&A夫妻は、午後6時くらいにに到着したようでした。もちろん出発時間もゆっくりだったのでしょう。彼らはすっかり雨に濡れて到着したようで 、レインコートと新聞紙が詰め込まれた濡れたブーツが部屋の前の暖炉のそばに置かれていました。

 

夕食は、リガトーニというのかな、太いショートパスタにキノコソースが絡めてあって、きのこ嫌いの夫も絶賛するほどとても美味でした。マテオ、やるじゃないか。そして、レタスサラダとこんがりと焼かれた大きいソーセージが出てきました。デザートは別料金でしたが、パンナコッタかリンゴケーキを選べるようになっており、女性陣はみんなデザートも頼んでディナーを堪能しました。

 

マテオは明日は休みでサンセポルクロの町(明日の目的地)まで行く予定で、夫を明日の宿まで連れて行ってくれると約束してくれました。

 

さあ、今夜はぐっすり眠れるでしょうか。

 

いつもありがとう