■社会人としてのレベルは「語彙力」で測られる現実がある
稚拙な表現や、思慮の浅そうな表現をしたり、
自分の中にある語彙の量が不足していれば、
社会人としてのレベルを低く見積もられてしまいます。
仕事の力量があるかないかということ以前に、
言葉の理解力や、使う言葉といった語彙力で
ある程度あなたの評価が決まってしまうということです。
本書では、社会人としての評価を上げ、
キャリア形成でつまずかない、軽く扱われないための
「できる人が物事を理解するために押さえている語彙」
「知性と教養を感じさせる語彙」をご紹介しました。
『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』というタイトルを見てこれは私では???と思いついつい購入してしまいました。
結論として、語彙力がないと思っている方がもしいらしたらこの本ではなくて何か別の本を選んだ方が良いだろうと思います。
最低限知っておきたい「知性」と「教養」を感じさせる語彙とか多くの社会人が誤用してしまっている語彙とかいくつかの章にそれぞれいくつかの単語が紹介されているのですが、正直どうしてその単語が選ばれたのかその基準がよくわかりませんでした。
目次だけで十分という気がします。これ、新書などにありがちなことです。
著者が博識であり中国古典などにとても詳しいのはわかるのですが、それは置いておいて、社会人が社会人たるために使用すべき言葉を淡々と教えていただきたかったです。なんというか系統立っていない印象なんですね。
一つああそうだなと思ったのは、カタカナのビジネス用語は、基本的に自分では使わず、最低限意味を理解するために知っておくという意識でいることをお勧めしますという一文でした。
最近Youtubeなどで誰かが話しているのを聞くと当たり前のようにカタカナのビジネス用語が飛び交うのですが、危ういところで知識ある系のフリをしている人ほどカタカナを使いがちだなと。
もし本当に理解しているのならば大体はその言葉に対応する日本語があるのでそれを使えばいいとどうしても思ってしまう。その方が頭良さそうに見えるのになあなんて思う今日この頃です。

