内容説明

明治20年、18歳で東京の吉原遊廓に身売りした、岡山の没落士族の娘・内田久野。前の年に別れた恋人・勇吉との再会だけを心のよすがに、遊女としての哀しい運命に耐えてひたむきに生きた、その姿を、開化期の廓風景の中に鮮やかに再現する。久野の義理の孫でもある画壇の鬼才が、10年の歳月をかけた鎮魂のドキュメント画文集。

 

 

五社監督の映画は昔観た事があったんですが、フィクションだとばかり思っていました。

本書の作者の画家の斎藤真一さんのお母さんがこの内田久野の養女であるということで、斎藤さんが母親から聞いたことをまとめた文章とそれにまつわる絵画で構成された作品です。

 

ドラマティックな映画とは違って原作は極めて淡々としています。

驚くほど辛いことや悲しいことは書いてありませんでした。

久野さんは子供に昔話をする時には辛い話はしなかったのか、斎藤真一さんのお母さんが彼に話さなかったのか。

おそらく久乃さんは売られた娘の中ではとても運の良い方だったのだとは思う。性病にもならず、結核にもならずに無事にお金持ちに身受けされたのだから。

それにしても久野さんが語らなかった部分がいかに悲惨なものだったかということは想像に難くない。

 

最初の方でお金の話が出てくるのですが、諸経費を入れて300円の証文に対して親に入るお金がたった120円。

借金を返せるまで売られた娘は身体を売り続ける。久乃さんの場合は7年間ほどです。

酷い話です。

 

映画や画像の花魁はきらびやかで今では憧れる人もいるみたいですし、成人式に花魁みたいな格好をする人もいるけれど、私は文化は文化としても女にとって良い歴史だとは全く思えない。

女性の人権は1ミリも認められていない。

 

 

現代において好きで身体を売っている人は別として、自分に入る金額の方が少ないようなシステムはこれを搾取と言います。

親なんかのために売られるような時代が終わって本当に良かった。

 

個人主義が良いと言っているわけじゃないんですが、親の都合で売られるなんてあってはならない。

そういう事がないだけ(裏ではあるかもしれませんが)日本はまだマシと言えるかもしれませんね。

 

斎藤さんの描かれた絵がたくさん差し挟まれていて、それは美しいものです。

美しくてそして遊女の表情はとても悲しげに見えます。