人は精がのうなると、死にとうなるもんじゃけ――祖母が、そして次に前夫が何故か突然、生への執着を捨てて闇の国へと去っていった悲しい記憶を胸奥に秘めたゆみ子。奥能登の板前の後妻として平穏な日々を過す成熟した女の情念の妖しさと、幸せと不幸せの狭間を生きてゆかねばならぬ人間の危うさとを描いた表題作のほか3編を収録。芥川賞受賞作「螢川」の著者会心の作品集。

 

 

宮本輝さんの作品が好きです。

エッセイも小説も。

特に古い作品が好きかな。

 

宮本作品を読む時に微かに私を躊躇わせるのは先生が新興宗教の信者さんだということです。(書いていいのかな)

自分はキリスト教の信者でだからと言って他の宗教を否定することは全くないのですが、だったら新興宗教じゃなくてもいいんじゃないかとどこかで思ってしまうのです。

 

それは置いておいて、宮本さんの作品を読むと死について考えさせられます。

今日私が生きていることと、誰かが死んでいくことに一体何の違いがあるのだろうかという疑問がいつも頭をよぎります。

この作品も文句なしに素晴らしい作品だと思う。

 

『幻の光』

『夜桜』

『こうもり』

『寝台車』

全4編です。

 

『夜桜』は夫の不倫を許せずに若くして離婚した主人公が50歳になり自分の人生、自分の心を振り返るというような作品です。この作品集には必ず死が絡んでいるわけですが、この主人公は1年前に一人息子を事故で失っている。そんな事があれば人生観も変わるだろうと思う。

主人公の家の一部屋を一夜貸してもらいたいと申し出た青年にまつわるエピソードから感じられる若い生命力とある日簡単に失われる命の儚さの対比に心奪われました。

 

『こうもり』は大人になって高校生の時の友人が亡くなったことを知った主人公が思い出した友人にまつわる思い出の話です。

 

『寝台車』は出張の新幹線に乗り遅れた主人公が寝台車で東京へ向かう話。小学生の時の幼馴染とその死を回想する。

 

『幻の光』は突然に夫が自死した主人公が能登に住む男と再婚し新しい暮らしを築いていく話です。

一言で言ってしまったら元も子もないですが、悲しいとか可哀想とかじゃなくて涙が止まらなかったです。多分涙の原因は感動とか癒しみたいなものだと思う。

ゆみ子は貧しい育ちで大阪のトンネル長屋と呼ばれるボロアパートで育った娘である。そしてその夫は同じアパートに連れ子としてやってきた子供であった。ゆみ子はその結婚生活を貧しいながらも幸せなものと感じていたと思うけれど、なぜか夫はある日突然に亡くなってしまった。なぜ?という行き場のない問いを抱えてゆみ子は生きていく。再婚後も亡くなった前夫に向かって問い続ける。

特別何の取り柄もないようなゆみ子という女性が自分の生き様の中で悲しみから癒されていく様を見ていると、人間の強さを感じる。またその強さは何か才能とかお金があるとかそういうことには全く関係ないもので人間の根源的な強さだと思う。

このグリーフケアのようなストーリーと、能登の情景の美しさ、厳しさが重なりあう見事な作品であるし、心を揺さぶられる。

 

歳をとると益々死が身近になってくる。

若い時は死は他人事だった。

今は生と死はある意味同じものだと思っている。

生きることと死ぬことが全く別のものとして存在するのではなくて同じ種類のものというんだろうか、単に形が変わっただけなのかなと思う。

 

宮本さんの作品は宮本さんの人生そのものという気がする。

たくさんの苦労やたくさんの人との出会いと別れ、それを自分の血肉にできる鋭い感受性、それが宮本作品を作り上げている。

 

この作品は映画化されていますがまだ観た事がないのでそのうち映画も観てみたいと思っています。