アパートで母親と暮らす亜沙。
友だちも、金魚も、家族でさえも
彼女の手からものを食べようとしない。
「お願い、食べて」
切なる願いから杉の木に転生した亜沙は、
わりばしとなり若者と出会った――(表題作)。

他者との繋がりを希求する魂を描く、
いびつで不穏で美しい作品集。
単行本未収録エッセイ3篇を増補。

 

〈目次〉
木になった亜沙
的になった七未
ある夜の思い出
ボーナス・エッセイ

 

 

今村さんの作品は『こちらあみ子』を読んだのが最初だったんですが、『こちらあみ子』も私には充分衝撃的な作品でした。

それから何作か読んでいますが、どれも本当になんとも私の心をえぐる作品たちです。

 

私が読書をするのは単にそれが好きだからということもありますが、いつからか現実で起きている事が本当に耐えられないほどの矛盾と欺瞞に満ちていて直視できないからです。

どんなに残酷な描写であってもほとんどの作品はフィクションであればむしろ安心して読めるのです。

現実からの逃避と言えます。

 

ところが、今村さんの作品はとても辛い。

この短篇集もですがかなり寓話的な仕上がりでリアルな感じは薄いはずです。それなのにとても辛くてならない。

今村さんの描く生きづらさに対して私には何の解決策もみつけられないから。

 

『木になった亜沙』は自分の手からは誰からも食べ物を食べてもらえない少女の話です。そんな設定自体がとても不可解ですが、コミュニケーションと言い換えればそこらへんで日常的に起こっていることでしょう。

 

『的になった七未』は誰かが投げたものが自分だけには決して当たらない少女の話です。設定や流れも『木になった亜紗』に似ているなと思います。

 

『ある夜の思い出』はずっと畳に寝そべったままで何もしたくない少女の話です。本当に今村さんときたらなんでこんなことを思いつくのかと思ってしまいます。私個人としてはこの話が一番受け入れやすかった。普通にセンチメンタルな雰囲気があり、ちょっと川上弘美さんが描くものに似ている気もした。なんで受け入れやすかったかというとこの話が回想的なもので今主人公が普通の人間のような生活をしているからだろうと思う。

結局今村さんがみせつける生きづらい人たちの心情が自分には辛すぎて、この話だけは思い出話なのでほっとするんだろうと思う。

 

どれを読んでも辛いですが、きっとこれからも今村さんの作品を読むだろうと思う。というか、読まなくてはいけないと何か自分の中で感じているものがある。そんな気がします。