私はある大学院生である。

 

昨今、大学発スタートアップであったり、ビジネスが研究アカデミアに侵食してきている。良いこともあれば弊害もあると思うのである。

 

良いことは、学生の研究のモチベーション向上であったり、キャリアが広がることである。言い換えると、履歴書に書ける経歴が増えるということ。

 

一方で、弊害もある。それは未来志向になるあまり、起きてもいないことをさも起こることとして、すでに腹落ちしてしまい安心してしまうのである。つまり、”考える”という行為により、既に自分はやってのけたのだ!と錯覚してしまうのである。もちろん、優秀と呼ばれる人たちはそんなことは起こらないだろう。しかし、ここは私のブログ。事実、私は経験によりこのような錯覚に陥ってしまったのであって、しばしお付き合いいただきたい。

 

この弊害は更なる弊害を呼ぶ。それはリアリスト(現実主義者)でなくなってしまうことである。ちなみに、リアリストの対義語はロマンチスト(理想主義者)である。

 

金が欲しい、だって生きていくためには必要でしょ?笑

いい男、いい女と付き合いたい、だってやっぱ綺麗な人っていいじゃん?笑

 

こういった素直な気持ちを言えること。これが自分に素直になること、つまりリアリストである。これも未来志向のロマンチストじゃないか?と反論したくなる人もいるだろう。確かにそうとも取れるかもしれない。しかし、リアリストとロマンチストの大きな違いは、自分に素直なのかどうか、もっと突き詰めて言えば、変に生き物としての思考プロセスに逆行していないことである。見えない肩書きみたいな取り繕った(いわば擬似的)感情ではなく、人、人間、類人猿、動物、生き物、、としてのありのままの感情に忠実な人、これがリアリストなのである。なので、こういったリアリストは、不倫という世間的に受け入れられないことさえも時に受け入れることもできるだろう。だってイケメンな男たち、可愛い女たちとたくさん付き合いたい!という感情は取り繕ったものではなく、まさに人の感情なのだから。

 

イケメン、可愛い、綺麗な人(の方)が(対立する単語より)好き。

 

人間としてこのロジックを崩せる人はいないと思う。

 

 

 

どんなに幼稚なことでもいい

どんなに不純でもいい

どんなに汚らしいことでもいい

もちろん、どんなに楽しいことでもいい

 

綺麗事なんか取っ払って、素直になってみないか、俺。