法則を求める心理

 

 

SNSなどが普及して、様々な情報が簡単に得られる時代になってきましたよね。その中でも特に多く発信されていると思うのが、●●の法則といったようなものです。こういった情報は感心が集めやすく、実用性があるので私自身もつい参考にしてみたり、良いと思うのは取り入れてみたりすることがあります。

 

法則というのはどこから来ているのかと考える人は意外に少ないですよね。誰かが決めた時点で勝手に正しいものだと認識されてしまう怖い言葉でもあります。

それでも、人間は他人が定義する答えを取り入れようとしてしまいます。

 

 

『自由に選んでいいんだよ』、と言われるより『この法則に従うんだよ』と言われたほうが楽なんですよね。法則に乗っ取って生きるというのは、無数の選択肢から必要ではないものを排除していくプロセスでもあります。目の前に無数に広がる選択肢から、この道はやめておこうね。とガイドされると確かに安心感があります。

 

ですが、法則に縛られてしまうと、常に正解かどうかに囚われてしまうようになるので自分の自由を奪ってしまうことになりかねません。

 

 

 歪んだ思考が生み出す価値観

 

 

人間の価値観は経験に基づいて形成されていくものなので、失敗から学んで導き出されることがほとんどです。初めから成功法が分かっていれば、ただ単純なゲームをこなしているだけの人生になります。

 

ですが人間は魂を磨くことを前提に生まれているため、そのような人生が送れるはずはありません。

 

何者かによって定義された法則とは、何者かが失敗を繰り返してたどり着いたであろう一つの価値観です。それはとても尊いものだと思いますが、その定義があたかも自身が経験した真実かのように、SNS等で無数の人間たちによって拡散され続けています。やがてそれが常識のように認知されてしまうのは時間の問題です。

 

 

本来は経験の中から自分なりの成功を導き出すことが大切なのですが、『法則』という名の何者かによる導きを妄信してしまうと、行動することが億劫になってしまいます。情報を得ただけで習得した気持ちになっては本末転倒ですよね。

 

全く信じないほうがよいと言いたいわけではありませんが、アドバイスやヒントぐらいに留めておく方が柔軟な生き方ができるのではないかと感じています。

 

答えを求めて彷徨うより、自分が望む道を選んだほうが良いです。失敗をしたとしても経験と自分なりの価値を生み出すことができます。

 

自らの創造性を殺し、他人が経験して学んだ価値観を生きるなんてことを魂は望んではいないはずです。

 

 

 自分だけの法則を探す

 

 

私は無数の失敗を繰り返した人間なのですが、その中で得た法則は一般的な法則には当てはまらないものがほとんどです。他人から見て模範になるものではないかもしれません。それでも失敗の少ない安全な人生より価値を感じています。

 

自分で選択したことは本当の意味で価値になります。それは若い頃には気づきにくいことかもしれませんが、後々、自分を誇りに思える材料になります。

 

これからの時代は『個の時代』と言われていて、自分だけの幸せのあり方を模索していく時代になると言われています。

 

嵐のように吹き荒れる無数の情報に翻弄されず、自分を信じて創造的に生きていきましょう。

 

ドラゴンアイ