いじめられっ子のあなたへ
とにかく絶対大丈夫です。心配しないで大丈夫。人生はいつでも好転させることができます。
もし明日生きる勇気がないほど落ち込んでいる人がいれば私の話を聞いて下さい。
なぜ他人が人をいじめるのか、ということを考えたことがあるでしょうか。
人間は常に自分と他者との境界を曖昧に生きている存在なのです。その一方で、他人とは違う特別な人間になりたい、という強烈な自我(エゴ)と戦いながら生きています。『自分』という確かな個性を持ちつつ、他人と調和しながら生きていくということは非常に難しいことです。
人間は常にエゴと戦っています。エゴの言いなりになってしまった人は他者を批判したり卑下したりすることでなんとか自分を保とうとするのです。
なので、あなたは強くなりましょう。相手と対峙する必要はありません。自分と向き合うのです。そして、この状況から何かを選択しましょう。
変えられるのは常に相手ではなく自分だけです。自分のためだけに選択をすれば良いのです。
幼少期の頃の私
私は幼少期から思春期に入るまで、ずっといじめられっこでした。
いじめられていた頃の話をするのは今でも少し辛いです。
でも今現在苦しんでいる人の助けに少しでもなれれば・・と思いお話させていただきます。
私は昔から少し変わった子供でした。目立つタイプではなく控えめなタイプではありましたが、協調性がなく、どこにいても少し浮いてしまうような子供だったと思います。
これをしないといけない、と言われるととたんにやる気がなくなってしまい、『どうしてこれをしないといけないの?』と常に心の中で葛藤をし、反発を繰り返していました。
宿題もやりたくない。お遊戯もやりたくない。グループワークもやりたくない。子供らしい振る舞いを求められると怒る。とにかく扱いづらい人間だったと思います。
笑顔を求められるだけで嫌気がさしていました。そのため、幼少期の写真は笑顔の写真がほとんどありません。
とにかく課題を課せられるとやる気を失い、ある時は授業中に一人あやとりをして先生に殴られたこともあります。(お恥ずかしい話ですが、暴力はダメですよね泣)
当時の私は他人から見た自分というものが全く認識できていませんでした。
何にも属せず、常に浮遊しているような感覚というか、不思議な子供だったと思います。
そんな子供でしたので、やはり同級生からは変なやつとして見られていました。
妙にひょうひょうして子供らしくないため、気味が悪かったのだと思います。私自身、本当に不器用で他人とのコミュニケーションが苦手だったので、できることなら人と関わらず生きていきたい。そんなふうにも思っておりました。
どうしてみんな仲良く遊んだり、協力したり、宿題をやったり、先生の言うことを聞いたりできるのかが本当にわからなかったのです。
そんな葛藤を感じている私ではありましたが、同時に人と関わり、幸せを共有してみたいという気持ちも持っていました。
学校という小さな社会では、グループというものがどうしても形成されしまい、何にも属さないものは変態としてはじき出されれてしまうのです。
友達ができない・・。そんな私は常に姉につきまとうようになり、どんどん同級生の子供たちからは敬遠される存在になっていきました。
ここまでは幼稚園~小学2年生までのお話です。
本格的にいじめを受けるようになったのは、小学3年の時に母親の事情で引っ越しを余儀なくされた時のことです。いわゆる転校生いじめというものです。
その頃の話は次回のブログで語りたいと思います。
(少しでも興味があればぜひご覧ください!)
ドラゴンアイ