15年程前、通訳学校に通っていた時に聞いた言葉です。
日本語は、聞き手に責任があり、
英語は、話し手に責任がある、
通訳の先生は、上の傾向のことを言ったのかなあ、と今思います。
日本語と英語が人間だとしたら、ここが性格の違いといった感じでしょうか。
極端に言えば、
あくまでも極端にですが、
日本語の場合:
聞き手が、話し手の発言を理解できないのは、聞き手側の問題。
聞き手の理解度が低い。
→ 空気読む、行間を読む努力が必要。
英語の場合:
相手に、意図が正しく伝わらないのは、話し手の責任。
相手に伝わるように話すべき。
→ 自分の意図を説明するために言葉をつくす努力が必要。
この話し手・聞き手責任についてちょっと検索したところ、なるほど!と思う文章が。
ソース:話し手の論理と聞き手の論理は日本語にどのように反映されているのか(英語との比較を通して)
元は、英語コミュニケーション力・暗黙のルール22からの引用です。
キンドルにはないので、いつか読んでみたいな。暗黙のルール、知りたい。
「日本語母語話者は、状況から聞き手が自分の考えを察することを期待するに対して、アメリカ人母語話者は言葉を一番のよりどころにして自分の考えを聞き手に伝達するという見解を示している。」
なので、日本人同士の日本語の会話では、聞き手は、その会話の内容のみから、話し手の意図を汲むことが期待されているということですよね。
いわゆる空気を読む、ですね。
え、フツーでしょ、と思われるかもしれません。
でも他の文化では、絶対的にフツーではないということ。
昨日の記事で、「恵とおじさん」の話をしました。
質問が、「気まずいことを言ったのは誰ですか?」で、
答えが、「おじさん」 (恵とお母さんを傷つけたから)。
確かに、その場は気まずくなりますね。
ただ、英語だと、「おじさんが気まずいことを言った」というには、話し手責任感覚でいうと、気まずくさせる意図がないとそうは言えないような。
それで外国では「だれも言ってない」になるかなあと思ったのですが、、、。
「恵とおじさん」の話の英語版、経験話は見つけられなかったのですが、日本(のみ)のお話なのかな?
調べが足りないだけかもしれませんけれど。。。
さて、うちの子ども達は、まだこの聞き手・話し手責任の感覚はあまりないと思います。
多読や会話をたくさんすることで見えてくると思うけど、、、
普段は、「言ってナンボ」の英語で暮らしているので、
日本語だと、説明がいやに長い人になっちゃうかな?!
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