前回、古文と漢文の教材の豊富さから、古典語の教材の貧弱さを嘆いてみた。今回はその反対に、我々日本人にとって学校教育での古文、漢文の教材について批判(=吟味)してみよう。
自慢ではないが、私は高校生までは英語は得意科目の1つであった。その一方で古典の授業は好きではなかった(し、かといって大嫌いでもなかった)。それゆえ、古文・漢文とも得意でもなければ、大の苦手でもなかった。
でも、学校で教えられる古文・漢文の授業は全くと言っていいほど不満足なものだった。英語のようにグラマーやライティングのように文法に特化した授業はなく、ひたすら読解をやりながらちょこちょこっと文法事項をやっていくというパターンのものだったからである。つまり体系的な文法学習というのは、学習塾での指導を別にすれば、今までないのだ。
しかし、これは半ばしょうがないことなのかもしれない。読解は、語学の基本だからだ。だから、問題にしたいのは、読解させられた内容だ。和歌や○×日記みたいなものばかりで、全く退屈だった。でももしこれが、碑文の解読や、日本史の史料解読みたいな形だったら、もう少し違ったかもしれない。
もしくは現代の日本人と最も身近な部分では、たとえば神社の祝詞の読解や作文だったら、案外興味深く取り組んでいたかもしれない。もっともこれは、宗教の問題やイデオロギーが絡むのでそう安々と実践できるものではないが。
また漢文だったら、孫子の兵法を読んだり、占いに関心があるのであれば、風水の原典を読んでみたりしたっていいはずだ。中華料理の古典書でもいいかもしれない。碑文だって漢字のものは、日本以外にもごまんとある、楽しみは尽きないはずだ。