挫折こそ最大のチャンス | Dr.UNDYのブログ

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Dr.UNDYによるブログ

シンです。

ブログを書くのは何年ぶりなんだろ……

よく事務所の人にブログを書きなさいとか言われてたな。そのたびにうるせぇ、くそ野郎が…なんて生意気な事を思っていた。今思えばなんて生意気なくそガキなんだ。笑

ってのはどうでもよくて

今日はDr.UNDYとの出会いの事を書きたいと思う。

UNDYは本当に運命を感じるバンドで出会った時の事を話そうかな。

俺もバンドをして15年くらいはたつ。デビューしてずっと音楽を続けられてる。

それは当たり前じゃなくて本当にありがたい事だ!
たくさんの人にご迷惑おかけして、たくさんの方に助けられて今があります。

その中でファンの方の存在はほんとに大きかった。

昔は何が何でも成功してやる。売れて金持ちになってやる。

音楽の成功=両手に華みたいな事は誰でも思ったんではないかな?

そう思ってたなんて思い出すと思い出し笑いしちゃいます…笑

俺はデビューしたバンドから今まで一緒にバンドしてずっと俺を支えてくれた大切な人がいる。

高校生くらいからお互いに知りずっと一緒に夢を追いかけてきた大切な家族。一緒に住んだ時期もあるくらいのだ。

まだ俺が制服を着てる時は良くチャリで帰ってたのを昨日の事のように覚えてる。照笑

楽しい事も辛い事も経験して酔って泣きながら話した事もある。

そう、UNDYのDr.ナオヒロ!
きっとナオヒロとはどっちかが死ぬまで仲良しだろう!

同じバンドを辞めてもまだ一緒にUNDYで夢を語りあってる。熱く語る彼が本当に心から好きだ。

そんなUNDYとの出会いも不思議だった

沖縄にいる時に雑誌でたくやを知りバンドをしてる事を知って東京のツアーの合間のタイミングで客としてチケットを買って観に行った!もちろん自腹!

何か吸い込まれるたくやの存在が魅力的だった。

LIVEを観て一緒にLIVEしたい、対バンしたいなんて思った。

それから3〜4年経ったくらいに一緒に対バンが決まった

念願のLIVEだった

LIVE終わって何故か朝まで飲み明かして語り合った

それからずっと仲良しになった。

ツアーも一緒に回った。

もちろん殴り合った日もあるし、泣きそうになりながら朝まで語り合った日だってある

もはや、漫画とか映画の世界のような感じがすごく好きだった

人生で初めてバンド友達ってよりは仲間に近い存在が出来た

バンドやる前は別に友達って思うやつもいなくて、
人見知りな性格で特に才能もなくよくバカにされてた人生だった

消えていなくなりたいな、なんて毎日思ってたくらい根暗少年時代

唯一の救いが楽器を練習してる時が何よりも楽しく自由になれる時間

弾けないベースを持ちながら、東京ドーム、アリーナって1人で叫んだ事もある

当時はそんな自分を変えたくて叫んでたのもあるのかもしれない

そんな自分が嫌で、変わりたくてひたすら部屋で楽器を弾いてたのを覚えてる

そんな荒んでた学生時代を経験した俺からするとすごくUNDYといる時間が心地良かった。

すごくありのままで、素直な気持ちで音楽と向き合えた

UNDYの中でもてっちゃんは本当になんでも話ししてきた

LIVEでTシャツを破るなんてルックスと合わない事をした時は全力でとめた

伝えるのにも理由があっから

心のどこかでUNDYは絶対に売れてほしい、絶対に売れるべきバンドって思ってから

その気持ちがあってよくダメ出しをお互いにした

ある時、UNDYは解散寸前の時期があった。

みんなも分かるだろう!

あの事件…
もはやギャグだった!

ファンの方からすると笑えなかっただろうけど、俺はギャグだと思った!笑 

LIVEハウスで衝撃を受けたのを覚えてる!

今は飲みながら笑って話せる話題だ。笑

その日の打ち上げだったかな、、、
確か、、

タイミングって不思議で俺も音楽をなんの為にやってるのか分からない時期だった

今までプロとしてやってきたけど、初めて辞めて就職でもしようか思った

音楽は好きなんだけど、なんの為なのか?なんて思う自分がいた。違和感しかなかった。

何をしても楽しくなくて、何してもうまくいかない。

音が体から放たれない感じは死んだような感じだった。

全てが分からなくなって沖縄に帰った時期もあった。

音楽を奏でる事が出来なくなりそうな一歩手前だった

精神的にも肉体的にもすごい疲れていて

そんな時、てっちゃんも辛そうな表情をしてた。

真剣な話しを何時間か語り合った。

今思うがあんな辛そうな彼の顔は二度と見たくない

二度とあんな顔をさせないって心に誓ったのを覚えてる
 
俺は彼が笑ってる姿が本当に好きだし、ずっと笑っていてほしい

彼の笑った顔には人を幸せにする力があるから

何故かお互い辛い時期なのにビールを片手に笑って話してた

笑って話すしかなかった。

お互いに「お前は最高〜」なんて言いながら酔った記憶しかない

その時、周りからなんて思われても関係なかった

自然と彼の笑顔をみてるときっと俺しかいないのかな?なんて思った

きっとてっちゃんもギリギリだったと思う。
でも、彼から出てきた言葉は「俺は諦めない」その言葉だけだった。

その時に感じる何かがあった

「俺がベースやるよ。みんなを絶対に幸せにするし、きっと俺がベース弾けば何か変わると思う。
だから一回ベース弾かせて。そしたら何か変わるよ。」

その時のてっちゃんの笑顔は鮮明に覚えてる。

分からないけど、彼らのステージに自分がベースを弾いてる絵が浮んだのを覚えてる。

一回挫折をしたUNDYと目標がなくなった俺は立ち直りも早く1回目のスタジオから空気感がすごく良かった!

あんな楽しいスタジオは久々だった

きっと、最初に楽器を練習して最初のスタジオの感覚とすごく似てた

自然と震えたし、興奮して、気持ち良かった。

全体のグルーヴが良すぎて5人ともS◯X状態だった
 
俺はその感覚がたまらなく好きで音が自分の身体から飛んでいく感覚した。

俺が忘れてた気持ちはこれ。って思った!

メンバーの誰より優しいかったのはUNDYの楽曲をまとめてるたけさん

別に上手くない俺に対して神のように対応するたけさん!素敵な人は素敵な曲を創るなと心から感じた。

たけさんの作る曲が俺は本当に大好きでいつも生きる勇気をもらってた

何回も励まされた。

スタジオで演奏させてもらった瞬間は生きてる気がしてワクワク、ドキドキが止まらなかった。

才能ある人の楽曲を演奏するのはほんと生きてる気がするし、これ以上の幸せはない。

その時に俺はなぜ音楽をやってるんだろ?仕事なのか?金儲けの為なのか?そんなのどうでもいい。

まずは音を楽しんで、音で笑顔になれる事がしたいって、それが俺がやりたい音楽人生

もちろん厳しい事も良く言われる

ビジネスにならない音楽なんでやめてしまえ。
センスがないから売れないよ。
下手くそだから辞めたら?
音楽なんて稼げないんだから辞めとけ。
なんてたくさん言われてきた。

今でも言われる事もある

もちろんすごく悔しい

自分の音を信じて、自分達が楽しいと思う音楽をやってお客さんが喜んでくれて評価されてみんなで幸せになればいい!それで笑って死ねる人生なら後悔はない。そう心から思ってる。

人生そんなに甘くないのは百も承知だ。

俺はLIVEに来た人が喜んで笑顔になって帰ってもらえるならそれで良い

それを気づかせてくれたUNDYには感謝してる

だから絶対にメンバー、スタッフ、LIVEに来て下さる方を笑顔にするって決めて現在 UNDYのベース弾かせていただいてます。

感謝って言葉では伝えきれないくらい感謝してる。

だから、ワンマンで全部恩返ししたい。

ありのままに表現して、ありのままにベースを弾きたい。

ワンマンを決意してみんなでやろう

あの日から何か変わった。

UNDYチームとしてスタッフも増えてみんなで7月5日の為に魂を削りながらファンの事を考えていろいろ頑張ってるメンバー、スタッフ。

睡眠時間を削って5日に人生をかけてる姿をみてると心から尊敬します。

きっとメンバーは焦りとプレッシャーで押しつぶされそうだと思う。

実際、俺も不安で怖い。

本当は逃げたいのに逃げないで仲間を大切に誰も攻める事なく笑っている彼らの姿は本当にすごい。

例えると、、、

ん〜ワンピースのゴーイングメリーゴーのような船で旅をする感覚。

7月5日は本当に観に来てほしいです。

そして、たくさん名前を呼んであげてください

むしろ今回のようなLIVEはもう観れないと思う

第2章の始まりのLIVEはもう一生ないからだ

UNDYからは素敵な発表もあると思います

SNSで知るより会場で一緒に感じてワクワク、ドキドキしてほしい

そしてまたみんなで笑顔の輪を広げたい。

そんな日にする為にはやっぱりフロアのみんながいないとダメだから是非会いに来て!

あ、愛に来てください。笑

そしてたくさんの愛をもらって帰ってその愛をまた好きな人に分けてあげて笑顔にさせてあげて

そんな愛が溢れる7月5日にしましよ!   

7月5日お待ちしてます!

Dr UNDY. ベース shin