大井町散歩(その3) | Dr-たっきーの今も日々是好日

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飛幡つばさの芸名で女優をしていた嫁さんの強い勧めで自分も始めることにしたブログです。その嫁さんは2021年5月に他界してしまったのですが、今も嫁さんが隣にいるかのように続けていこうと思います。

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こんばんはー

東京から北九州に帰って来ましたが、
まだ書ききれていないのでつづきです。

兄貴から「一本橋通りが変わったぞ~」と
言われて「それは見たいな~」と答える自分
まぁ、まず、こんな兄弟はいない。
なぜ「一本橋通り」で盛り上がれるのか?
それは兄弟の共通の母校である山中小学校に
通うための通学路だったからである。

というわけで、山中小学校を目指して
通学路であった一本橋通りを歩くことにした

一本橋通りは幅の広い道ではなかった。
一本橋通りだけではない。大井町駅の西側に
センターラインのある道は少なかった。
せいぜい、大井町駅から品川区役所に曲がる
ガードまでくらいだった。

ちなみに、一本橋通りの名前の由来は、
立会川を渡る橋がこの通りの途中にあり、
その橋の名前が一本橋だったからである。
その立会川は、自分が小学生のときに
暗渠化されて道路となったので、橋の姿を
見たのはせいぜい3年間くらいで、その後は
交差点になったが、確か信号に地名の表示も
なかったと記憶している。
それが
一本橋の表示がある

さらに山中小学校に近づいていくと
工学通りとの交差点があるはず

光学通りとは大井町駅と日本光学(ニコン)の
大井工場を結ぶ道のことで、一本橋通りとの
交差点より駅側では2車線だが、反対側は
センターラインがなかった。

光学通りってこんなに狭かったっけ?

そして、三ツ又商店街通りとぶつかって
一本橋通りは終わる。
ここで左を見れば、
三ツ又の歩道橋が見える
山中小学校はこの先にある。


兄貴のいう通り、山中小学校は何も変わって
いなかった。
こんなに変わらないものがあるなんて。

つづく