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 夢と言えば、亞実さんが見た夢では、60代か70代の女性が、話を聞いてくれ、といきなり訪ねてきたそうです。断ってもしつこく粘られて、挙げ句にトイレを貸して、と言い出したけれど、断ったそうです。あとでまどかさんに聞いたところでは、異次元の存在が来ていたのだそうです。弥勒の世の実現に向かうことを邪魔したい、これまでの秩序を維持したい者が、家に入って引っかき回して、その日の神事を邪魔しようとしていた、と。ですが、夢で家に入れなかったことで、その邪魔を未然に防ぐことができ、事なきを得た、と言うことでした。ほぉー。

 かと思えば、空港でトイレにいって、なぜかモップを持って床そうじをしていた夢、という、どんな意味があるのかまるでわからない夢を披露してくれたり。ちなみに、その場には裕太さんもモップを持って登場したらしいです。笑

 この頃に聞いたというか、ふと思いついたことを確認したというか、のですが、神さまと仏さまの話。しばらく前に、フツヌシとタケミカヅチの封印をするために、神仏習合が必要であったこと、それができたので、動けずにいた不動明王が動けるようになった、と、文殊仙寺の文殊菩薩から聞いた話をしました。神さまの世界の存在と、仏さまの世界の存在が協力体制を作れた、ということですが、それとは別に。

 神さま、仏さまと認識している存在の中でも、特にエネルギーの高い存在は、両方の名前を持っています。つまり、目に見えない存在で、神さまとしても、仏さまとしても名前がある存在がいます。ひとつの存在、エネルギーに対して、神さまとしてみると、この神さま。仏さまとしてみると、この仏さま、ということですね。

 例を挙げる方がわかりやすいかもしれません。月読命(つくよみのみこと)、月の神さまですが、仏さまとしては月光(がっこう)菩薩です。そのまんまやないか、というツッコミ、ありがとうございます。ですから、そういうことなんです。

 同じエネルギーを、神さまとしてとらえる人々は、神さまとしての名前をつけた。一方、仏さまとしてとらえる人々は、仏さまとしての名前をつけた、ということでしょう。

 釈迦如来は、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)ですね。阿弥陀(あみだ)如来は、伊弉冉命(いざなみのみこと)。全部の神さま仏さまが両方の名前を持つわけではありません。やはり、有名どころは、神さまと仏さま、どちらの視点から見ても話題に上る存在だから、両方の名前がつくようです。

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。続きは、また後日。