ご覧いただいてありがとうございます。

 唐突ですが、神さま仏さま、妖怪変化や幽霊など、一般には目に見えないとされる存在が見える、とか、その声が聞こえる、という人がいます。その人たちの目や耳には、それらの存在が捉えられるわけです。

 ヒトの身体の構造からすると、それらの存在が、見える・聞こえるひとの目や耳の神経に作用することで、神経細胞が活性化されて、結果として、それらが見えたり聞こえたりしている、と考えるのが妥当でしょう。

 神経の刺激は、ごく弱い電流として伝わります。ですが、神仏・妖怪・霊が電気的な存在ではないようです。私たちが知っている、電子を最小単位とするモノとしての概念ではないようで、より高い次元のエネルギーとして存在するようです。ですから、より低い次元に相当する、我々の生きている世界での現象に影響するのは、ある意味、自在にできるようです。

 亞実さんとLINEでやりとりしている時に、リアルタイムで「あ、それちょっと待って」みたいにその内容にNGが出たりしたこともありました。ダダ漏れというか、丸見えというか、そんな印象でした。

 話が多少変わりますが、菅原道真という方がおられました。学問の神さまとして、あちこちの天満宮で祀られていますね。「菅公のたたり」をおそれて、怒りを鎮めるために、神さまとして祀った、とされています。

 「菅公のたたり」は、菅公の没後40年くらいにわたって、彼を陥れた人たちが亡くなったり、疫病が頻繁に起こったりしたことを総じての呼び方です。当時の私も何を思ったのか、パターン分類をしてみました。

 「急に死んだ」「雷に打たれて死んだ」「気がふれて死んだ」「疫病」といったものが主立ったものでした。

 「急に」は、大動脈瘤破裂とか、心室細動などの致死的な不整脈とか、循環器系の問題をイメージしやすいです。「気がふれて」は、神経系の暴走か。「雷」は、そのものですね。

 で、いきなり結論を申しますと、それぞれ別の神さまの力で、特定の人の心臓や脳に異変を起こしたり、特定の人をめがけて雷を落としたり、だそうです。何度か、菅公の幽霊らしきものを見た、との話もありますが、そのように神々が見させることも十分に可能でしょう。菅公が、神々からの何らかの使命を帯びてこの世に生きていたのを、この世の存在が邪魔をしたということで、召された、ということかと思います。

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。続きは、また後日。