はじめまして。2025年夏に山口県山口市でクリニック開業を目指している
眼科医の永岡了と申します。クリニックとはいっても通常の眼科ではなく
眼形成専門のクリニックです。
眼形成という言葉に耳馴染みのない方もいらっしゃる
とは思いますが、眼形成がどんな分野なのか、なぜ、眼科の中でも眼形成を選び、それ専門
のクリニックを作ろうとしているのか、、、等々についてはまたの機会(次回??)に書きたいと思います。
現在はオキュロフェイシャルクリニック東京、
新前橋かしま眼科形成外科クリニック、まぶたとなみだのクリニック千葉で鹿嶋先生
のもとで眼形成の勉強をしています。
東京と新前橋の週2〜3回、千葉は毎週火曜日に勤務しています。
都内に住んでいるので新前橋には北陸新幹線で、千葉にはNEX(成田空港に向かう特急)
で通勤しています。遠いから大変ですねとよく言われます。
でも、いいこともあるんですよね
北陸新幹線には都内から軽井沢や金沢等の観光地や北アルプスのゲレンデに向かうお客さん
がたくさん乗っています。みなさんこれからの旅行が楽しみなのか、とても明るい表情で
乗車されています。出勤時の地下鉄と違って楽しそうな方に囲まれているので気分が明るくなります。また、NEXの行き先は成田空港なのでこれから海外に行かれるのであろう方々がでっかいスーツケースを引っ提げて乗ってきます。こちらまで飛行機でどこかに行く時のような雰囲気が味わえて、これまた気分が良いです
朝8:00出勤なので朝早いのが少しだけつらいところですが。。。。
こっちにいる間に北陸や東北に旅行に行きたいと思っています。山口に引っ越すと
なかなかこっちには来ないでしょうし。。。
話がタイトルからかけ離れてしまいました
自己紹介します
出身地は岡山県里庄町で藤井風と一緒です(学年は違いますが小学校も一緒です)。
小学校2年生〜大学6年生まで野球部でした。小学校、中学校ともに県大会優勝、
高校野球では県大会ベスト4でした(今までで1番、輝いていた時期かも)。
愛知医科大学に入学し、父の背中を見て育った影響から眼科医になることを決意。
初期研修は母校で受けましたが眼科研修は地元岡山の市民病院で眼科研修ができる倉敷中央病院眼科を選択しました。父のように何でも1人で見れるような眼科医になりたかったので専門性を高めたり、研究をする大学病院ではなく、とにかく患者さんをたくさん診察する
市民病院を選びました。
眼科専門医を取得した後、クリニックでの診療を学ぶため、広島県のみはら眼科に転勤。
地域に根差した開業医でありながらも高度な医療を提供している三原先生の元で、大病院
とは違った診療の形を学ばせていただきました。
しかし、何でも屋の眼科診療スタイルが自分には合っていないかもしれないことに気がつきました。
何でも屋さんの眼科にはたくさんの患者さんが来院されます。
私は患者さんの悩みが医学的に放置して問題ないと分かっていても話を聞いて答えるように
しています。医学的に問題がなくてもその人にとっては問題だから来院されているので
解決してあげたいからです。
しかし、外来で1人1人の悩みをしっかり傾聴しているととてもじゃないですが回りません。
また、何でも屋なので眼に関する全ての患者が来院されるわけですが、その中には
自分では直せない患者さんも含まれており、手探りで対応するしかないこともしばしば。。
その疾患を得意とする眼科医が近くにいれば紹介することができるのですが。。。
何でも屋の眼科って思ってたのと少し違うな。。
このまま眼科開業して大丈夫だろうか。。。
↑↑ 思うことが出てきたところで、とりあえず学ぶ機会のなかった眼形成を学ぼう!!
と一念発起し鹿嶋先生のオキュロフェイシャルクリニックに見学に行きました。
そして、見学から半年でオキュロに入職することとなりました(笑)。
↑オキュロに入職するくだりをかなりすっ飛ばしましたが自己紹介と一緒に書くにはかなり長くなってしまいますので
またいつか書きたいと思います
次回からは眼形成で地域に貢献するにはどうしたら良いか、どのようなクリニックにすれば患者さんに喜んでもらえるか等々、悪戦苦闘しながら目標に向かって家族一丸となって
進んでいる経過について綴っていきたいと思います。
応援していただけると嬉しいです。