「薬物の害から助ける診療。」心療内科・精神科医 松薗りえこのブログ

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アマラクリニック表参道 〒107-0062 東京都港区南青山3-10-38 1F Tel : 03-6438-9869

お薬をやめていきたい方・お薬以外の根本的な治療を探している方、ぜひご来院ください。お薬を使わないと通院期間も短くてすみます。
お気軽にご相談ください。

他のクリニックでたくさん薬を飲んで、数年間何もしていない20代の患者さんが、少しずつよくなっていくのを見ていると、しあわせになります。

 

 朝な夕なに秋の風を感じる。

 

 この夏は着物や浴衣を着る機会がなかったけれど、そろそろ袖を通したくなってきた。

 

 去年たたんで仕舞った、単衣の綿薩摩を引っ張り出してみる。

 

 尊敬する着物の師匠、白井さんに選んでもらったもので、織りを拡大鏡で見せてくださったときに「買う」って思った。

 

 細い綿の糸で、丹念に織り込んであり、織りの姿かたちには言葉で表現するのが難しい独特の美しいリズムがある。そして藍(インディゴ)染め。昔の人は普段こういうの着ていたんだなあ。欧米でいうデニムのような作業着だったんじゃないかな。

 

 セゴドン(西郷さん)もこれ着て駆けずり回っていたんだろうなって妄想する。父が薩摩の出身だからか、この着物に出逢った瞬間「薩摩おごじょ」の血が騒いだ。。。気がした。。かも。。。。まあ買うための言いわけみたいなものですが。

 

 去年、何回か着たらけっこう汗をかいた。このまま仕舞っていいものかどうか聞いたら、

 

 「洗ってみてください。びっくりしますよ。」とのこと。

 

 「洗濯機で洗ってもいいのかしら。」って聞いてみた。ほら、綿だし。

 

 さすがのお転婆白井さんも、「洗濯機はやめておきましょう。」ですって。

 

 でも何となく大丈夫な気がして、洗濯機のドライモードで洗っちゃったの。。。。まだ彼女にはは内緒だけど。

 

 そしたら、ちょっとシワになっちゃって。。。。笑。

 

 でもまあ、しょうがないと思って、たたんで、たとう紙にくるんで仕舞っておいた。

 

 そしたらなんと。昨日ひっぱり出してみたら、きれいにぴーんとしているの。シワがなくなっている。

 

 「セゴドン~~!!」

 

 セゴドンには関係ないけれど、叫んでしまいました。あまりにも感動的で。

 

 

 

 今年の2月、大学の同窓会のときに着た、結城紬の色無地も出してみた。

 

 同窓会の後、九州から来た友達が泊まるホテルのお部屋で二次会やって、その大好きな友達とベッドにごろごろして、くんずほぐれつして、ちゅーしていたらシワシワになったお気に入りの結城。

 

 たたんでたとう紙にくるんでいただけなのになんと、こっちも端正にぴーんとしているの。

 

 チョコレートのようなシミがちょっとだけあったけれどまあいいや。ご愛敬。

 

 改めて「織り」の技術ってなんてすばらしいのかしらと思ったのでした。

 

 着物っておしとやかな淑女が着るイメージもたれている方が多いかもしれませんが、

 

 わんぱくでも受け入れてくれる、懐の深~いものなのである。

 

 朝の風が涼しい。

 

 窓と入り口のドアを全開にして風を通したら、ドアから流れてくる風がひんやり気持ちいい。

 

 お風呂上りにすっぽんぽんのまま、ドアに近づく。

 

 ワンフロアーに一世帯の小さなマンションなので、ドアの隙間にすっぽんぽんで立っていても誰かが通りかかるわけではないから、こういうときはありがたい。

 

 ドアから吹き付ける風を全身で浴びている。それにしても裸がワイセツになったのはいつなのだろう。

 

 仏陀だって裸同然で菩提樹のそばに座って光明を得たのだと思うけど。。。。

 

 このままこの外廊下、ポーチにデッキチェアを出して、すっぽんぽんで横たわりたい。この風ならいくらでも浴びていられる。ずーっと座っていられる。

 

 もしかしてこのまま悟っちゃうんじゃないだろうか。。。。

 

 と妄想していたら、ちょっと先にマンションの窓があった。向こうからしてみたら、何気なく窓から外を眺めただけなのに、すぐ先のマンションのポーチにすっぽんぽんの女が立っていたら悲鳴をあげるほどの衝撃かもしれない。。。。

 

 ケイサツに通報したくなるかもしれない。。。。

 

 都会の生活は不自由である。

 

 昔、鹿児島出身の友達の実家に遊びに行ったら、宴会で裸踊りするおじさんがいた。

 

 うちの父も酔っぱらって裸になっていたなあ。母もよくリビングで着替えていた。

 

 

 

 都会の若い人には信じられないかもしれないけれど、お父さんが家の中をパンツ一丁でウロチョロしていたり、近所をステテコ姿のおじさんが歩いていたり、ベランダでスリップ姿の奥様が洗濯物を干していたり。。。。それが日本の夏でした。

 

 そもそも、学校や仕事やもろもろの活動に参加が難しくなるのは、「ちゃんとしなければならない」という意識である。「ちゃんとしている」ための緊張感や完璧主義がハードルを上げる。

 

 本気で「ちゃんとしていよう」と思ったら大変である。

 

 コンサバティブなお洋服に白衣着てシャキッとしていなければならない。大人として精神科医として、期待される言葉だけを言わなければならない。そんなの窮屈だし演技だ。

 

 「なりすまし」サギです。笑。

 

 本気で「ちゃんとしていない」を選ぶのもまた大変である。ヒッピーのような格好してビーサン履いてっていうのもね。。。。毎日酒臭かったり。。。仕事サボったり。。笑。

 

 どちらか極端でいるのは、反対側に対する抵抗だから。

 

 ほどほどがいいのかもしれない。

 

 裸同然の薄着が好きだし、デニムのミニスカートも好きだし。

 

 最近、花柄を刺繍した一見クラシックな形のスカートなんだけれど、実は大きな穴がふたつ空いていてそこから生足が見えるものをみつけた。

 

 それを履くと、穴のあたりだけ二度見されて面白い。

 

 バカっぽいって思われることを面白がってやるのは、「ちゃんとしなければならない」ことも多いこの世の中で、私が自分に与えているセルフヒーリングの処方箋なのである。

 

 大学時代のお友達から写真が送られてきた。20歳前後のときのグループ写真である。眉毛の立派さに我ながら度肝を抜かれた。

 

 こんなに立派な眉毛があったのに、いつから手を加え始めたんだっけ。

 

 医者になりたての頃も確かこんなだった。

 

 やっぱり30歳前後くらいにお化粧始めてからだと思う。断片的に覚えているのは、研修医の頃、若くてきれいな看護師さんが、その人もけっこう立派な眉毛だったんだけれど、「たまに間引いています」って言っていて、

 

 「眉毛って間引くものなのか」と思った。

 

 なんとなく周りの気になる毛を抜き始めた。次第に抜くのが快感になった。

 

 しばらくして、眉毛サロンに行きはじめた。自分の骨格や顔のパーツに合うかたちに整えてくれるって言うので。

 

 よく考えたら、もともとのかたち以上に骨格やパーツに合うかたちはないのではないかと、今となっては思うのですが。。。。どうなのでしょうね。笑。

 

 カスタムし始めるとオリジナルに戻すのが難しくなる。

 

 今、もともとのかたちってどんなだったかしら。。。? という単純な興味から、眉毛を伸ばし始めている。

 

 伸びたところで誰も気づかない。

 

 周囲の毛が増えてきつつあるけれど、誰も気づかない。

 

 どこまでボーボーになると気づくのだろうかという興味もあるけれど、そもそも人の眉毛なんてあんまり見ていないのですかね。

 

 どんなふうに成長するのか楽しみである。

 

 そういえば色も、グレーっぽい茶色で描いていたけれど、もともとの黒とグレーっぽい茶色が今にして思えば一体化していなかった。いつまでたっても上手に描けなかった。

 

 手を加えないことにしてみよう。

 

 黒髪だから、これでいいのだ。

 

 これって雑草生え放題の果物畑みたい。笑。奇跡のりんごみたいな。。。

 

 

 

 ちなみに去年の2月の眉毛です。自分でもウケた。

 

 こんなにしちゃって、お母さん、ごめんなさい。笑。

 

 そのときベストだと思っていたことって、変わるのですね。それが面白さでもあるけれど。

 

 髪の毛じゃなく、眉毛をとかして、今日も元気にいってきま~す。

 

 

 去年のお盆は北海道の田舎で。

 

 母とドライブしたり、家族と宴会三次会までやったり、弟と飲んだくれたのが懐かしい思ひでです。

 

 北国から小包で「にしんの切り込み」が届きました。。。これ大好き。地元で食べたかった。。。。

 

 でも大丈夫。先週一週間おおいに休みました。そしてこっそりといろいろ楽しみましたし。。。。

 

 六本木「小田島」のランチ。もう傑作でした。

 

 15日にどうしても和食が食べたくなり。ヘアカットアーティストN氏がおすすめしてくれたそのお店をふと思い出し。。。

 

 調べたら土曜日だけランチをやっているとのことで、すぐに予約しました。

 

 好きになるお店って予約した瞬間に楽しくなるものです。何も食べずに体調を整えてお昼まで待ちました。

 

 お家からてくてく六本木トンネルの階段を上がりヒルズ方面へ。

 

 失神しそうなくらいもあっとした灼熱のアスファルトに、真昼間、歩を刻むのは、ただただその先にオアシスがあると知っているから。。。

 

 ドアを開けると楽園の奥に、小田島さんが笑って出迎えてくださいました。

 

 たぶん私は最初から最後までずっと笑っていたと思う。

 

 カウンターに座って、まずは良く冷えたシャンパン。。。次々と提供される旬のお料理といっしょに、ジャブのように繰り出されるワインの数々。。。

 

 まさに。。ジャブでした。。。

 

 たまに。。カウンターもくらいました。。。

 

 「シャンパンはもう。。。。」 けっこうです、と言おうとしたのですが、、、

 

 「チェイサーで、いりませんか?」 ですって。なんてすてきなソムリエなのでしょうか。

 

 こういうとき、「ノン、メルシー」 と言える強さがあれば、今までの数多くの失敗をしないで済んだような気がする。。。。笑。

 

 

 

 つい喜んでしまう。かえってノリノリになってしまう。

 

 「ウイ、ムッシュウ…」 「ジュ スゥィ コントン(私って幸せ)…」。。。

 

 夢のなかにいたのでしょうか。

 

 安房直子さんの童話、小学校の教科書に載っていた「きつねの窓」 を思い出した。。。

 

 夢なら醒めないで。。。

 

 そんなドリーミィな、異空間に迷い込んだような経験でした。

 

 都会にいると喉が渇くときもあるから。。。。

 

 そんなときにはまた、小田島さんに逢いに東京砂漠のオアシスへ行こう。

 

 ヘビースモーカーから禁煙したとき、ニコチンからの離脱症状を経験した。イライラして落ち着かない。頭がぼうっとする。ヤル気が出ない。

 

 作用していた薬物が身体から抜けるときに、それに慣れていた身体が反応を引き起こすのだ。

 

 もちろん離脱症状は心にも起こる。長年親しんだ友人を失ったかのような喪失感があった。あとは習慣となっていた行動をしなくなったための大いなる手持ち無沙汰感である。

 

 ごはんの後に何すればいいの? お酒飲んでいるときにどうやって間を持たすの? ひと仕事終えたときに一服しないでどうするの?

 

 ぽっかり空いた穴。

 

 まあそれも、3日経ち、1週間経ち、3週間経ち。。。。。一か月、二か月。。。。薄らいでいくのだけれど。

 

 吸いたくなったら、意識的になるように心掛けた。無意識にまかせていたら衝動のほうが勝ってしまう。また吸いはじめたら不自由な生活に逆戻りする。それがなければ生きていけないっていうのは途方もなく不自由だ。

 

 と言い聞かせて言い聞かせて。。。でも結局また吸っちゃうことを繰り返したなあ。

 

 タバコなどの嗜癖行動だとわかりやすいが、私たちは何かの習慣に依存することがある。

 

 私はたまに、指の爪の周りにある甘皮が飛び出していると、それを引っ張り出したくなる。そうすると痛いしささくれになるし、結果はわかっているんだけれど、見つけるとその瞬間はやたらに衝動的になるの。

 

 でもしばらく(たぶん数分)我慢したら落ち着く。それを繰り返してやらないでおいたら、ある時点(たぶん数日)で気にならなくなる。

 

 見つけたときの「引っ張り出したい」っていう衝動も、心の離脱衝動なのじゃないかな。ここ数か月はやっていない。

 

 1年半くらい前に、お友達の勧めでまつ毛のエクステンションをやり始めた。あれも習慣になる。数週間してまつ毛が少なくなってくるとまた行かなきゃって思う。ないと寂しくなる。これも離脱症状だ。

 

 数か月前にいったんやめてみたら、まつ毛が短くなっていた。もともと濃くて長かったあのまつ毛はどこへいったのだろう。笑。

 

 やらないでいたら寂しかったけれど、まつ毛の薄い顔にも慣れてきた。そのうちまつ毛も生え始めてきて、また濃くなりつつある。

 

 お化粧し始めたのは遅くて、たぶん30代になってからだと思う。

 

 その頃、高級基礎化粧品をお友達に紹介されて、いろいろなローションやクリーム使って。

 

 それでお化粧も習慣になった。

 

 先週末からお化粧やめてみた。離脱症状は、何となく恥ずかしい。何となく心もとないような。。。そんな感じで。。。何度も鏡見直しちゃう。

 

 だんだん慣れてきたけれど。

 

 で、驚くことに、誰にも気づかれない。誰も人の顔なんて気にしていなかったかも。。。。笑。。。いや、気づいているんだけれど怖くて言い出せないのかも。。。笑。

 

 

 

 オンラインでマスク外して診察しているし、クリニックのなかでも外すときもあるんだけど。

 

 気づいても、話題に触れないだけなのかも。。。。よくわからないけれど、離脱症状がもっと薄れるまでしばらく続けてみようかな。

 

 

 

 たまにホクロを描き足している。

 

 ぺんてるのサインペンが使いやすい。すぐに消せるし、好きな黒なの。

 

 今日は右目の横の、少し下に泣きホクロを描いてみた。

 

 マリリンモンローの左頬のホクロみたいに、ちょっと付け足すだけで遊べるホクロ。

 

 顔以外でも。。。胸元や内腿など。。。。

 

 いれただけで勝手に別人の気分になる。

 

 という報告でした。笑。

 

 

 

 女を54年やっていて、着るものが好きだと、今まで出逢ったデニムの数は数えきれない。昔は「Gパン」って呼んでたな。「ジーパン」っていう刑事(デカ)もいましたね。

 

 小学生の頃、エドウィンかなんかのカラーデニムで、裾のすぼまった形のスリムなものに憧れた。今のスキニーよりはピタピタしていないんだけど、足元がくるぶしにかけてしゅっとしていて、腰の丸みや足の線がきれいに出るんだ。 

 

 田舎の釧路でもたまにスタイルのいいお姉さんが履いていて、憧れたなあ。小学校4年生くらいで幼児体形だった私は、骨盤を叩いたらセクシーにまあるく広がった骨盤になれると思って叩きながら願かけていた。笑。

 

 中学のとき、買ってもらってうれしかった。カーキ色のスリム。懐かしいな。

 

 大学に入ってからは、下北沢や高円寺に行って古着のリーバイスを探した。80年代は足の中間あたりがちょっと広がった雰囲気のストレートが流行っていたけれど、いちばん気にいっていた一本は、よりストレートなラインのものだった。

 

 膝のあたりがいい感じで破れていて、ずっとそればかり履いていたら、祖父がこっそり「新しいの買いなさい」と言って5000円くれた。笑。

 

 あのデニム。友達の友達が、いい感じでツギハギしてくれるって言うから、ついお願いしたら、やたらミシンで縫いまくって無造作な美しさがなくなってしまったっけ。

 

 履かなくなって、泣く泣く手放したあのデニム。

 

 仕事をするようになって自由になるお金ができると、「何かないかな」って思ってお買い物に行くようになった。これを買いに、というのではなく、「何かすてきなお洋服ないかな」って探しに行っていた。

 

 「あってもいいかな」って思うものを何となく買ったり、「理想に近いけれど、まあいいか」って思うものを買ったり。

 

 デニムも流行りに任せて、お尻やパンツが見えちゃうくらいのローウエストのもの買ったり。あれを履いてかがんでもはみ出ないパンツがなかなかなかったなあ。。。しかも似合わなかったし。

 

 高価なブランド物のも買ったけれど、何も残っていない。。。。

 

 ほんとうに何本のデニムが私を通り過ぎて行ったのでしょう。今持っているのは4本だ。

 

 デニム以外でもお洋服全般、そんな調子だった。贅沢っていうよりも、今となってはそれこそ無駄遣いだったなあって思う。

 

 着物にはまったときも、「何かないかな」ってずっとメルカリやヤフオク見たり、古着着物屋さんに行ったり。今あるもので十分なのに、何かないかなって探しにいく。

 

 この「探索行動」のパターンは昔からの習慣で、私の細胞のひとつひとつに深く染みついているんだって最近ほとほと自覚しているのだ。

 

 探して、探して、つかみにいく。

 

 そして、やっとのことで「これいいかも」ってものを見つけたとしても、放っておくとあとで、「絶対これ」っていうものが出てくるの。。。。ふー。。。。

 

 「買わなきゃよかった。。。」ってなる。。。

 

 結局いらなくて古着着物屋さんに下取りで持っていったものが何着もあった。1着はお友達のワインパーティの帰りに流血で汚してだめにしたし。。。。

 

 何をやっているんでしょうね。。。。

 

 今、いちばんのお気に入りデニムは、海外でふと入ったお店にセールで売られていたもの。銀座中を探し回って買ったデニムよりも、こっちのほうが好き。

 

 

 

 ちなみにこれは銀座のデニム。

 

 

 

 これがいちばんお気に入りのストレート。

 

 探して探して探したものよりも、ふと出逢ったものが好きなんて。

 

 もしかしたら、この世ってそんなふうになっているかもしれないとこの歳になってやっと思い始めている。

 

 そして「探索行動」をしなくなったら、ヒマ。。。。何てこと。。迷路のねずみみたいだ。何をやって生きていたんでしょう。。。笑。

 

 ほとほと、「あーやんなちゃった」ってならないとパターンを落とすのは難しい。。。特に私の場合は。。。気づけてよかったかも。

 

 「何も探しにいかない」日々を過ごしてみると、起こらせようとしていなかったり、探してもいないのに、勝手に起こってくることがある。何もしていないのにやってくるものがある。

 

 探すのをやめたとき。。。。

 

 つづきはまたこんど。。。。

 

 

 先日、血圧を測ってほしいと言われて。

 

 リットマンの聴診器を久しぶりに取り出した。クリニックに置いてあるけれどほとんど使う機会がない。

 

 懐かしいグレーの聴診器。大学生の頃、ポリクリを回るのに母に買ってもらった。当時で2,3万円くらいしたと思う。MATSUZONOってサイン入れてもらって。

 

 持つといっぱしの医者になった気がした。勘違いだけど。。。恐るべき勘違いだけど。。。笑。

 

 で、久しぶりに取り出して確認してみたら耳のところのゴムがなんだかべたべたするの。アルコール綿で何度も拭いたけれど変わらない。

 

 拭き続けていたら、ゴムが変形してきた。このべたべた、ゴムがだめになっているからみたい。。。

 

 どうしよう。。。マズい。。。ゴムが崩れ落ちたら音聴こえないよね。

 

 で、耳のところのゴムをセロテープでぐるぐる巻きにした。笑。

 

 ナイス。これで聴こえる。

 

 昔、友達が酔っぱらってメガネを踏んで壊した後、セロテープでレンズを固定していた姿を思い出した。。。

 

 久しぶりに聴診器もって血圧測ったら、なんだかお医者さんごっこしている気分になった。

 

 

 

 たまに医者らしいことをやると気分が盛り上がることがわかったの。エゴ以外の何物でもないけれど。笑。

 

 調べたらリットマン聴診器の耳の部分だけ売っているの。あと、ベルの部分のゴムも剥がれていたから、パーツで買った。

 

 期せずしてよみがえったグレーのリットマン。

 

 次のお医者さんごっこが楽しみだ。胸の音でも聴いてみよう。

 

 Let`s play.

 

 最近の東京は強風がびゅんびゅん吹いている。今日はそうでもないけれど、空を見上げると厚い雲がどんどん流されていき、また別の厚い雲がどんどん流れてくる。

 

 ここ10日ほど、朝、腹筋とヨガをやっている。腹筋は最近、ちょっとだけお腹に線が見えてきた。簡単なやり方を教えてもらったので、起きたときにベッドでやることにしている。

 

 ヨガはYoutubeで選んだ初心者用のものをやっている。先日たまたま受診された方に教わったチャンネルのものを、今日はやってみた。昔は「やらなきゃ」って思いながらやっていたから続かなかったのかな。

 

 「いてててて。。。」と言いながらですが、終わった後「気持ちいい」って思えるようになった。朝、こういう時間をとると単純に「気持ちいい」。続けることが目標じゃないのでゆるくやりますが、そう思えたことがうれしい。体感できていることがうれしい。

 

 最後にシャバーサナ(死人のポーズ)をする。これが気持ちいい。このポーズをやるためにというか、死人になりたくてやっているようなものだ。このポーズがいちばん好き。なので、腹筋の後にも死人になる。

 

 だんだん他の場面でも死人になるようになってきた。お昼休み、ごはんの後に死人になる。診療の合間に死人になる。暇を見つけては死人になる。

 

 「やばい! いったん死んでおこう!」っていうときも死人になる。笑。

 

 

 

 先週、大学時代のお友達から、その頃みんなで撮った写真が送られてきた。私はブルーデニムの上下を着ていた。下はリーバイスのダメージのストレートデニム。高円寺のむげん堂で買った、イエローのスカーフを首に巻いていた。

 

 「時代だよね」って言って笑った。髪はストレートのワンレングスロングなんだ。そんな時代もありました。

 

 みんな屈託のない顔をしている。

 

 細胞も瞬間生きて死んでいる。呼吸は生きて死ぬ行為だという人もいる。寝て朝起きることもそうだという人もいる。

 

 そうかもしれない。

 

 とにもかくにもシャバーサナは気持ちいい。お昼ごはんも済んだことだし、今からまた死人になってこよう。

 

 

 

 

 コロナ太りで腹筋を鍛えないとまずいと思っていたところ、ジムに誘われた。

 

 先週、「こういうパーティがあるんだけど行ってみない?」って誘われた。

 

 このふたつ、いつものパターンだと断っていたの。パーティは外国の方ばかりで、スピーチも英語だし。。。

 

 ジムはめんどくさいってすぐに思っちゃうの。で、最初は「やめとく」って返事した。

 

 でもすぐに、「あ、これパターンだ」って気づいた。で、すぐに「やっぱり行く」って返信した。

 

 パターンって意識していないといつでも出てくる。それがダメっていう話じゃないけれど、今、「気づく」練習をしているの。できればいつでも意識的にいられるように。

 

 無意識に選ぶパターンに気づくようにしている。目の前のことをどのように解釈したり判断したりしているのか、意識することで理解するようにしている。

 

 ジムに誘われたときの判断は、「めんどくさい」し、「頑張り屋さんばかりいる」し、「たいくつになっても途中退室がしにくい」し。「朝早い」し、エトセトラ、エトセトラ。。。。で、抵抗している。

 

 ○○パーティは、「たいくつになっても途中退室がしにくい」し、「コミュニケーションがとりにくい」し、「自分だけ浮く可能性がある」し。エトセトラ、エトセトラ。。。。で、抵抗している。

 

 今、自分のパターンに気づくと同時に、目の前に差し出されたものに「イエス」って言う練習もしているんだ。

 

 いつもいろいろなことに意味づけして、価値判断をしているのがわかる。

 

 誘ってくれたお友達にそんな話をしたら、「うん。わかっていた」ってバレていた。「今、練習中なんだ」って。こういうのわかってもらえるとすごくうれしい。

 

 

 

 で、英語のパーティでは実際に逢ってみたかった人に逢えたし、誘ってくれたお友達とその後お寿司食べにいって、生のトリガイや利尻島の美味しいウニ食べて、ダラダラと飲んで大はしゃぎして楽しかった。

 

 昨日、ジムで腹筋のやり方を教わって、ハタヨガしてきた。ランチ食べたあとに渋谷から表参道まで歩いた。なんか高校の部活の帰りみたいで楽しかった。身体動かした後にごはん食べながら面白話して、歩きながらもダラダラとりとめのないおしゃべりをして。

 

 で、今日は心身の調子がとてもいい。

 

 何も判断しなくていいのではないだろうか。選んだりしなくてもいいのではないだろうか。

 

 勝手に起こってくることの壮大さに比べたら、価値判断による選択ってちっぽけなもののように思えてきた。

 

 思えば高校の頃ってノー天気だったなあ。大人になるにつれて複雑に考えるようになってきたけれど。

 

 あのときのようなからっぽ頭で、ダラダラとりとめもなく宙ぶらりんが丁度いいのかもしれない。