第二次の酒飲まないフェーズに入っている。
禁煙も数えきれないほどやったし、これがいつまで続くかわからないけれど。
都度都度気づきがあるから、よしとしようではないか。
飲まない2週間目に感じたことは、お通じがすっきり出ること。
この、朝のスッキリ感がすばらしくて。
あとは身体のぶよぶよ感が減って来た。
いろいろある。お茶やごはんが美味しく感じるとか、ふとした瞬間の景色の美しさに心を奪われるとか。
第一次のフェーズは忘れもしない去年の12月22日だった。ものすごく辛い風邪をひいて。
大好きな友達と行くのを楽しみにしていたフーコック島の旅行中も、なんとお酒が飲めず。
体調は1カ月くらいで戻ったけれど、せっかくだから続けてみようと思い。
それは去年の5月末くらいまで、約半年続けました。(途中同窓会で1日飲んだけど。。。)
続いたというより、最後は続けた、という感じ。
その半年の間、後半のほうはだんだん「我慢」になっていた。
飲まないでみて分かったことだが、自分の人生は酒で回っていた。というより、酒の力で回っていたと錯覚していた。
どういうことかというと、大学に入ってからの友人たちは皆、酒飲みで、交際したボーイフレンドもみんな酒飲みだった。
結婚した人も酒飲みで。
今となっては酒飲みを選んでいたふしもある。
そういう人たちといっしょにいると楽なのだ。
無意識のうちにある闇の部分を見なくて済むような錯覚を酒はくれる。
酒飲みの友達たちにも、それをくれるような感じがしていた。
その心地よさを記憶している脳のなかのある部分が、「飲めば楽になるよ」と言ってくるのだ。
なので、いつの間にか我慢になり、
6月の暑いある日、「いやあ、これはビールでしょ」という考えに支配され、ついプシュッと。。。
本当に酒の支配力とは恐ろしいものである。
飲んだときのメリットと錯覚しているイメージは強力なのである。まあタバコもそうだったけど。
その後、ほどなく毎日ビール350ml1本が、ビールプラス日本酒1杯。それが日本酒2杯になり。
休みの日の昼間に、スーパーでつまみを買って来てはビール。
「ビールひと缶くらいだから、いいよね」ってことになっていた。
近くに行きつけの飲み屋さんもできて、やっぱり楽しいと思い始め、
「昔に比べると飲めなくなったし」「飲む量減っているからいいよね」
脳のなかは合理化でいっぱいになっていた。
まあ、いまのところ飲んでいないのはたかだか20日弱ですが。
これからクリスマスもお正月も待っているし、年明けには大学時代のクラス会もある。
冷蔵庫の中にはビールとシャンパンと日本酒が入っているし。どうなることか見てみようではないか。
さて、無意識のなかの闇の部分って書いたけど、そこに気づきの光を当てると消えていくらしい。
自分のパーソナリティは外から押し付けられた気がしたり、そうしなきゃいけないと錯覚していたから作り上げたものらしいけど、
もう必要じゃなければ、さようならはすぐにできるらしい。
そのパターンを見つけることが肝心である気がしていて、今それにはまっている。
最近気づいたのは、「ノリの良さ」みたいなものを持ち続けていたこと。誘われたらホイホイついて行くみたいな。
それがいけないわけじゃないけど、よく見てみると腹の底は行きたくないかもしれない。
それに気づけば行かないしやらないことも選べるのだ。
当たり前と勘違いしていたある種の深刻さや癒えていないと錯覚している悲しみや、もろもろのものにさようならする。
無意識を意識化してお掃除していく。
どうせなら後悔や悲しみや恐れやもろもろのことを光にあてて消していき、からっぽになって死んでいきたい。








