「あるがまま。」心療内科・精神科医 松薗りえこのブログ

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アマラクリニック表参道 〒107-0062 東京都港区南青山3-10-38 1F Tel : 03-6438-9869

お薬をやめていきたい方・お薬以外の根本的な治療を探している方、ぜひご来院ください。お薬を使わないと通院期間も短くてすみます。
お気軽にご相談ください。

他のクリニックでたくさん薬を飲んで、数年間何もしていない20代の患者さんが、少しずつよくなっていくのを見ていると、しあわせになります。

 

 全国的に暖かい陽気だった今日は、東京も夏日で。

 

 腹出して歩く女性がちらほらいるので、見るたびに小さく「ナイス!」とつぶやける喜ばしい日であった。

 

 お昼にクリニックのポーチで日光を浴びながらお弁当を食べていたら、「先生、保険証忘れたので取りに来ました」と。

 

 「気持ちいいですよね」とおっしゃるので、

 

 「ビールがあれば最高ですが」と言ったら、「まだお昼ですよ」と。

 

 「先生、ブログ更新してください」と去り際に言ってくださったので、思い出したように書いている次第です。

 

 その後ふと思い立って、行きつけの某1000円カットに行った。

 

 こんな気持ちのいい日には、散髪でもしようと思うのが人情ってものである。

 

 某1000円カットのいいところは、

 

 「好きなときに行ける」「いつも新しい人がいる」「ダサい感じで切ってくれる」「終了が早い」

 

 あげようと思えばもっと出てきそうだが、いちばんは「人間味にあふれる様子」であり、時々左右差のある仕上がりになったりもするところが、得難い魅力なのである。

 

 次に行ったときに「すごい左右差ですね!!」と別のスタッフがそろえてくれるのも、なんともほほえましいではないか。

 

 

 

 初めて担当してくださる女の子が、「どのくらい切りますか」と聞くので、

 

 「全体を1cmくらい切ってください」と伝えた。

 

 いつもは15分から20分くらいで全部が終了するところなのだが、襟足の辺りを15分くらいすごく念入りに切っているので、どうしたものかと思っていたら、

 

 思い立ったように後ろを鏡で見せて、「このくらいでいいですか。。。?」と自信なさげに聞く。

 

 見ると、すごく「ぱっつん」としていて。

 

 ワカメちゃんどころの騒ぎではなく。。。。

 

 「あの。。。ちょっとぱっつんとしているので、もう少しぼやかしていただけますか?」

 

 と言ったら、すごく衝撃を受けたような顔をされて、

 

 「担当かわりますっ!!」と去って行ってしまわれた。

 

 30代後半と思しき落ち着いた男性スタッフに変わってくださったが、「申し訳ございません!!」と。まるでVIP待遇のように丁寧でありがたかった。

 

 別にクレームつけたわけではないのにな。

 

 彼女、「ぼかす」ことが苦手だったのかなあ。

 

 帰りには目を見て挨拶してくれたから安心したけれど。

 

 後で怒られなといいなあ。

 

 とはいえ、途中から面白すぎて吹き出しそうになっていた。。。今日も最高だったな、1000円カット!!

 

 これからも1000円カットの「人間味あふれる様子」には目が離せないのである。

 

 土に還ってきました。

 

 一回、死んできました。

 

 

 

 

 

 空白がここちよい。

 

 窮屈でも、ゆるすぎても、しっくりこない。

 

 一日中でも、苦にならない。

 

 ほどよい締めぐあいを、つかみかけている。

 

 

 

 今日はくま背負ってきました。

 

 

 

 昨日母から荷物が届いて、賞味期限が前の日までのホタテ食べたけど、

 

 なんともない。

 

 お母さん、冷凍の袋餃子はクール便で送ったら、ぜんぶくっついちゃいます。

 

 9月23日って瓶に書いてあったイクラの醤油漬けもビビりながら食べたけれど、大丈夫でした。

 

 冷凍していたんだね。

 

 何が入っているかわくわく、どきどき、ときに戦々恐々のパンドラの箱をありがとう。

 

 いつも笑っちゃいますが、愛をいただいております。

 

 白糠のモッァレラチーズも2日賞味期限が切れていたけど、チーズトーストにして今日お弁当にもってきました。

 

 丈夫な身体に生んでくれて、感謝しきれないほど感謝です。

 

 6年前だと思う。神田橋條治先生の陪席をして、「あるがままメソッド」を僭越ながらお渡ししたら、

 

 「これ、あなたの作品ね」と言われ、「メソッドねえ、、、」とおっしゃっていた。

 

 メソッドという言葉に違和感を持たれたのだと思う。

 

 あのときは、わかりやすいから「メソッド」をつけるようにアドバイスされ、

 

 それがいい、と考えて調子に乗っていた。

 

 いい言葉見つけたな~~とさえ思っていた。

 

 本を書くように言われたとき、最後まで書いたあとで、

 

 「結局、どれがメソッドなんですか?」と言われた。

 

 自分でもよくわからなかった。

 

 形にならないものを書いているようなところがあったから。

 

 明確な技法が欠けていると感づいた編集者に、技法(メソッド)も盛り込むように言われ、

 

 そのとき使っていたものを手当たり次第に盛り込んだ。

 

 書いていることと技法に不釣り合いを感じながらも、違和感をそのままにしてしまった。


 アホだな~。

 

 確か2,3年前になると思うけど、クリニックで本を売ることはやめた。恥ずかしくて。

 

 

 

 時が過ぎてある日、技法(メソッド)を超えることができるかな。

 

 まだつかめていない何かがわかるようになるのかな。

 

 一昨日、「先生でも不安になることあるんですか」と聞かれ、

 

 「あるよ。ありますよ。もちろん。」と答えた。

 

 「そんなときはどうするんですか?」と言うので、

 

 いくつかの技法を伝えた後に、

 

 最終的には、「神さま、お願いって、神だのみ」と伝えた。

 

 「ええ~。それですか。」

 

 「うん。朝、今日来る人全員のことお願いしている。あなたのことも。」

 

 笑った。

 

 だってさ、自力でできないことなんて、たくさんあるもんね。

 

 10月に入って何回か着物着たけれど、暑くて暑くて、診察室のエアコンをガンガンかけるので、患者さんが寒そうにしている。

 

 それも申し訳なくて、しばらくお洋服で過ごしていたら、受付の清水さんが教えてくれた。

 

 「私なんか、二部式の上だけ着て、下は裾除けだけですよ」

 

 ああ、その手があった。どうりで清水さん、涼しげに見えたもん。

 

 本気の着付けするから暑かったんだ。

 

 着物肌着にしっかり長襦袢、これじゃ暑いよね。

 

 どうも、「着るからにはちゃんと」というところがあるみたい。

 

 そういう真面目なところがあるのよね。

 

 今日は言われたとおりにしてみたら、いつもより格段に涼しいのなんのって。

 

 

 

 きちんと、も悪くないけれど、

 

 崩すのも、悪くない。

 

 中はスケスケだってわかって着ているのも面白い。

 

 乃木坂の駅の急な階段を降りたら、ホームからの強い風が着物の裾をはだけそうになり、、

 

 「ひゃ~~っ。」

 

 ってギリギリで抑えるなど、かなりスリリングな朝であった。

 

 

 

 昨日、ブリジット・バルドー(BB)の映画を観た。

 

 BBちゃんかわいい。すんばらしい裸体が最初のシーンだし。

 

 無造作な金髪。勝気そうな瞳。

 

 女性の美って自然界の最高傑作なんじゃないかと思わずにはいられない。

 

 ストーリーは作り込まれすぎているように感じ退屈だったけれど。

 

 そんなことを凌駕する美しいBBのための映画。観ているだけで楽しかった。

 

 先日、志村ふくみさんの研究を長年されている方のお話が聞けた。

 

 雄大な自然を愛でるときのような気持ちにさせられる着物。

 

 大自然を眺めてただただため息をついているときのような。

 

 会場にはいくつか作品が展示されていて、

 

 博物館にあってもおかしくない物たちなのだが、

 

 「あれらを床にランダムに敷いて、思う存分ゴロゴロしたい~~」

 

 という、口に出すのもはばかられるような、妄想的欲望が頭から離れなかった。

 

 毎年のことであるが、とある初夏の夜、

 

 「この空気に包まれながら野宿したい~~」

 

 と勝手に沸き起こるあの強い欲望と似ていた。

 

 

 

 お話のなかでいちばん印象に残ったのは、「間違いを間違いとしない」というあり方である。

 

 お弟子さんがかすりをくくり忘れたりすると、それはある意味失敗なのだが、

 

 新たなものを作り上げるチャンスと見るらしい。

 

 その一見間違いのようなできごとを利用して新たなかたちを作るのだそうだ。

 

 起こることは偶然のように見えて偶然じゃない。

 

 間違いと決めつけるのは、既存のものとは違うからである。

 

 既存のものは既存のものだ。今までにあったものだ。

 

 間違いに見えていることは実は変化であり、予測を超えていて、真新しいのだ。

 

 すべての出来事がほんとうは新たなチャンスなんだよと、ふくみさんに教えられた気がした。

 

 

 

 昨日、フィンランドの建築家、アルヴァ・アアルトのドキュメンタリーを観て来た。

 

 数十年前に何かの雑誌で、アアルトハウスの居間を見て、ゼブラ模様のアームチェアに憧れた。

 

 ここで、最近覚えたレイドバックという言葉を使いたい。

 

 意味は、「リラックスした、くつろいだ、のんびりした、ゆったりした」なんですって。

 

 いい言葉だ。

 

 あたしにとってそんな居間なのだ。

 

 それからすぐにゼブラ模様のスツールを手元に置き、以来、数回引っ越ししたが、いつも運び歩いている。

 

 3月にお友達が遊びに来たときに、同じスツールを注文していて待っているところだと言っていて。

 

 好みが合ってうれしくなった。

 

 そんなまさに今年に、アアルトの映画が有楽町でやるというので、いっしょに行ってきたわけ。

 

 まだ見たことのなかったいろんな建築や家具が出てきて、すてきで面白かったけれど、いちばんよかったのはアアルトの生きる喜びが伝わってきたことだ。

 

 

 

 想像していたよりずっとお茶目で、北欧の寒い気候から勝手に想像していたクールなイメージが覆された。

 

 モテおやじじゃん。

 

 イギリスからスーツ着た客がふたりやってきたと聞いて、「今寝て起きたところ」と伝言させておいて、

 

 わざわざ髪の毛ぼさぼさにしてガウン着て出て行って笑いとったり。

 

 遊びに満ちていて稚気のあるセクシーなおやじでした。

 

 喜びから創造したものの発する、のびのびと自然で優雅で、リラックスした雰囲気。

 

 細やかなディティールは同じじゃなくても、ついつい自然にくつろいでしまうレイドバック感を大事にしたいものである。

 

 そういえば「忘れじのレイドバック」って、セクシーな歌だったな。

 

 最近、Youtubeで寝るときや朝、波の音や大雨の音や滝の音などを流していた。

 

 水の音を聞くと熟睡できる感じがする。

 

 気持ちいいから引き続き、朝にも流していたんだけど、

 

 今日はやめてみた。

 

 東京はまだ暑いとはいえ、玄関のドアに隙間を作り、窓を開け放つと秋の涼しい風が通り抜けていく。

 

 耳に入るのは、隣のマンションの屋根を塗装工事している音。はしゃぐ子どもの声。雀の鳴き声。。。

 

 雀がかなりピーチクパーチクいっている。

 

 これもいいものだと思った。

 

 家を出て駅まで降りる道すがら、左手の木に雀が十数匹いて、飛んだり止まったりを繰り返していた。

 

 そうか、君たちの声だったのね。青空に映える。気持ちいいよ。

 

 

 

 習慣って、今の気持ちと寄り添っていないときがある。

 

 例えばコーヒー。毎朝飲む習慣になっていると、今ほんとうに飲みたいのかわからなくなる。

 

 尊敬する先生が、

 

 「精神疾患は脳の生活習慣病」と言っていた。

 

 習慣をこわすのは勇気がいるときもあるけれど、

 

 気持ちというか心というか、ハートに忠実に、瞬間から瞬間へ移動できれば、

 

 脳みそも新鮮になるのかも。

 

 新鮮な脳みそにこそエクスタシーが生まれるのかもね。

 

 あたしには、まだどんな習慣があるのかな。

 

 気づくことから始めてみよう。

 

 まだ暑い。昨日着物を着たら暑すぎて、人の話を聞くのに気が散った。

 

 精神科医ですけど。

 

 今日はワンピースに羽織ものに素足で、身体が楽だ。しかも夏物のワンピースだ。

 

 お洋服や着物が好きだから、秋めいてくるとつい厚着をしたくなる。

 

 今日、クローゼットの前で何着ようかなと。

 

 着物着たい、ニット着たい、革ジャン着たい、ウールのスカート履きたい、と心が千々に乱れたが、

 

 最終的には、気温に合わせるのがいちばんと思った。すごく楽で、今日はどなたでもウエルカムな気分です。

 

 今日受診してくださると、機嫌がいいですよ~~。

 

 

 

 私たちの脳みそは勝手に問題をつくるけど、本当の問題ってなんだろう。

 

 これは、いつもいつも意識してきたテーマである。

 

 最近、ちょっとだけ近づいたような気がしている。

 

 それは、、、

 

 「問題なんて本当はないんじゃないか」ということ。笑っちゃうけど。

 

 30年以上精神科医やっていますが、結局ね。なんだかんだ言ってなるようになっている。

 

 物事って自分の思い通りにはならなくて、物事が行きたい方向に行くのである。

 

 思い通りにいかせようとするところに問題が生まれる。

 

 思い通りじゃないほうが、奇跡的だったりする。

 

 「想像を超えてる~~!!」ってやつ。

 

 自分の思いって広大な宇宙や自然には太刀打ちできないと、あきらめたほうが楽なんだ。

 

 そのほうが、「想像を超えてる~~!!」と叫べる。何度でも。何度でも。

 

 とはいえ、最初から、「それは問題なのだろうか」と疑問を投げかけたり、

 

 「なるようになる」とか「あるがまま」なんて言っても、

 

 誰の頭にも入らないから、いろいろな技法があるような気がする。

 

 今日も、問題ではないかもしれないことを、いろいろな角度からいっしょに眺めながら、

 

 「あら、まあ」とお互い言いあって。

 

 いつの間にか物事が落ち着いていくのを待っているのである。