いや、笑ってくれたまえ
この空っぽさ、
僕はあまり悲しくなったりはしない。
空っぽな感じになることはたまにある。
でも今日考えたのは
この空っぽさは悲しさなのではないかということ
悲しみは虚しさということなら
このカラっぽさは
悲しみといえるんだと思う
僕がこの空っぽさを
悲しみと言わないのは
僕が悲しみのことを
どっかから落ちることや
何か理由を持つものと考えているからだと思う。
例えば悲しいストーリーや
悲しい生活
空っぽというのは
悲しむ対象がないっていうこと
しかし、この悲しむ対象を持たないという事を対象に
悲しんでいるのかもしれない。
この悲しみは
持たないこと、または持つべき対象を持たないことに起因するのかもしれない
まあとにかく、虚しいんだよ。
悲しいのか、虚しいのか、どっちなのかについてはあまり
考えることに意味はないのかもしれないが、
分類好きな動物である人間として
悲しいのか虚しいのかははっきりさせときたいんだよ。
どっちなのかによって
対策は変わるだろうしさ。
悲しいのであれば、その対象に対して働きかけることは比較的容易である
虚しいときは、虚しいこと、それ自体が悲しいので
どうにもしにくいのである
虚しいときは、僕はそんなに辛さを感じず、それが辛い。
感情の起伏といふものはある程度楽しめるから。
ジェットコースターのように
しかし、虚しさには動きがない
移動することもない。
ジェットコースターはどこかに行けるが
虚しさはサラサラとした監獄だ。
ネバつきなく、砂漠
悲しさにはストーリーがあるが、
虚しさにはなにもない。
虚しい状態、それが既に到達点である。
かと言って閉じ込められている感じもない。
閉じ込められているなら動きたくなるからだ。
虚しいときはやっぱり砂漠だ
ガラスに写った店内と、ガラスに透ける御堂筋を走る車と、風で大きく揺れる樹
店内に流れるハウスミュージックがこの虚しさを作っていることは間違いないように感じる
虚しさは穴の底ではない。
しかし虚しさはいつまでも続くことはない。僕においては。
では、砂漠はどのように平均的な僕が持つ風景にその景色を変えるのであろうか。
水が溢れ、木々が生え出すのか
寝ることはひとつの解決策である。
寝たら風景はリセットされる。
しかし実際には起き続けていても虚しさは知らずの間に消えていく
朝になることはそのひとつだ。
朝が登らなかったら、白夜の反対である黑昼が来たらどうしよう。
火を灯すのか?いや、火は逆に黒を際立たせる。
明るい部屋に入る?
僕は明るい部屋にいながら暗い外を想像する。
いったい僕はどこに行き、何をするのか。
僕は何を食べ、何を吐くのか。
そんなことは
ともかく、疲れが足りないんだろうな。
しかし、
この文章を書いていると
だんだんと気持ち良くなってきた。
ちょっとした変性意識に入っている。
ギターを弾くのとはまた違う感じ。
本を読もう。
そうだ、本を読もう。
立ち読みじゃなく、座って、本を読もう。
そして頭に本からの単語を広げるのだ。
どのように?記憶と単語を結びつける?
そして古着屋で新しい柄に出会う。
僕は、いつも、そんな感じで生きてきた。
これから、1か月後、1年後、半年後、5年後
悲しくてたまらない。たまらん。
でも楽しいことがいっぱいあることを知っている。
知っててよかったんだよな。
もし知らなければ、と想像したら躰が震えた。
知らなかったら死んでるよな。
生きる為の術、
生きるには食事が必要で、
ホームレスになってもなんとか生きていける。日本では野外で生きていけるようになっているんだ。あぁ、ヘロイン、アヘンをやりたい。アッパーなものじゃなくて。
こんなことをいってもハッパ吸ったらどうでも良くなるんだろうな。しかし日本では吸えない。
淘汰の世界
未来が僕に飛び込んでくる。
未来と僕がぶつかる瞬間、生まれる何か。
僕が生まれて、未来が生まれる。
僕と未来の重なりあうそのほんのすこしの境界線、
僕はつかれているのか?憑かれているのか?
かもしれないし、かもしれない。
マイケルの素敵な言葉、
今まで生きてきた中で、言葉をもらう、という感覚を味わったのはこの一節だけかもしれない。
かもしれないし、かもしれない。
ものすごい自己肯定的なフレーズだな。
maybe, or maybe
まちがっても
僕は死なないし死ねない。
こんな日は歩くのがいいか?とどまるがいいか?