想像の街に、はじける雲とともに

扉が開く音

金属がきしむ 隣では赤い錆が流れる

無感量の時計を片手にぶらつく

町がどんどん遠ざかり 南へ向かうバスは発車時刻を待たずに出発する

隣の国は洪水だ

この国は、暑くて、暑くて、汗が止まらない

風景を切り取りながら、線を引く 夜空に

くるりと雲が 雲とくるりが

不摂生をかき乱したまうは西の澱

化水をまばらに 畑に まく

陶酔同様の心地よさを求めて 振り出しにもどる

町内会では 東に と が鳴る

無神経な排泄物が街を徘徊する

俳諧のたまいたもう 地の鉄よ

草に交るは 虫の息
深夜特急の3巻をちょっと読み、ちょっと寝たら元気になった。
友人宅へ行くまでにマクドで時間を潰していると友人から電話。

いつもなんだかぎこちない会話なんだけれども、それがいいとそいつは言う。

なんだろうな。彼との会話は確かにぎこちないが、元気に、楽しくなる。

基本的な趣味が合うというのももちろんあり、趣味の違うところを楽しく話し合えるというのがある。

思考の仕方、表現は全然違うがなんだか似ているところがある。多分考える時の道筋が似ているんだろうな。

似ていると言ったあとにあんまり彼を褒めるのは恥ずかしいので、違うところがあるか考えてみよう。

彼は、僕が流してしまうこともきちんと考える。考えるというか、会話の中で気になったり、違うだろうというところをリセットして次の話に移ったりしない。だから僕が意識的に、無意識的に無視していることなどを指摘してくるので、とてもありがたい。他の人と違って、その知的が単純な好奇心から来ているように聞こえるので、過剰に反応したりせず、落ち着いて考えを説明できる。

変に勘がいいのでごまかしや見栄っ張りがきかないのもいい。心を許せる、というかそんなんではなく、あんまり適当なこと言えないな、という気分で会話できる。適当なことを言わないことは別に難しくない。もちろんそれは日常する会話とは違うのでひっかかりや戸惑いがいつもより多く含まれる会話となり、それがいつまでたってもぎこちない会話の原因なんんだろう。

適当なことを言うと突っ込むが、変なところを茶化したり適当にしたりする。
会話のリズムが揺れ、拍子は狂い、唐突なブレイクが入ったりしながら会話は進む。

早く会ってゆっくりと喋りたいなあ。

彼とはまあ2,3ヶ月、へたしたら半年ほど会わなかったりするが、親友は誰だと聞かれたら僕は迷いなくそいつの名前を上げるだろう。



なんだか久しぶりにまともな文章をかけた気がする。落ち着いた気分で、ゆるい楽しさを伴いながら。

どうだい、この文章は透き通っているんじゃないかい。僕らしいだろう。

迷うことについて。

迷いが無いのはまあ大抵いいコトなのか。

迷いがないのと迷いがあるのとは。

迷いの種類、そしてその

倦怠期に入った夫婦のようにオシドリはなく。

扉を開きながらつぶやく。レンコンになりたいと。

レンコンになりたいという言説が意味するのは

レンコンという食べ物か

もしくはレンコンという響きか。

もちろん両方あるという答えが正しい可能性が高いのだが、それでも

僕はレンコンを食べるのをやめない。

目が疲れていて、そのせいでネットサーフィンや

文章を打つのがつれえ。

となると、今僕にできるのは目を休めることなんだが、もしくはPCから目を外して本を読む。

とりあえずそうすることにしようじゃないか。

うじうじするのがいやだというのは、ええかっこしいから着ている。

仮に、ええカッコしいをやめたところを想像してみよう。

今日は風がストロング

金がない時は金がないから遊びにいけないといい、僕は人間の屑ですといい。

最近はニヒリズムが僕の中から薄れてきたのではないだろうか。

だからなのか。

きょうは、あと1時間半ほどで出発しようと思う。体より、脳がつかれている気がする。
昼寝の時間は有効につかうべし。


今日は久しぶりに整体に行った。なにか変化は起こるかしら。

そして濁ったガラス。

少し体を休めたので少し復活して、さあ何をしようかと思う。

髪型は少し変わって、気分も変わったような気がする。


言うてる間に夏は中盤に差し掛かろうとし、ハンモックの必然性が薄れていく。というか最近は枚方に帰ってないしね。夜はそんなに暑くないし、去年のように昼寝る生活をしていないからだろうか。

どうだろう。元気に悩むというのはあるのだろうか。楽しい悩みは試行錯誤とかそういう言葉に置き換えられるきがする。

とりあえずライブをしようか。誰と?一人で。

とりあえず明日は音楽を解禁してフェラ・クティを大音量で聴こうかな。

旅行。返却、書くこと。


写真を撮る。撮る。

音楽を聞いてないからか、ここ2週間ほど調子が良くない。精神的な調子がね。いまいち楽しくないんだな。だからと言って聴くには早い気がするし。とにかく今年の夏は音楽を出来るだけ聞かずに過ごしてみるというのは良いかもしれない。

そんな僕は、と書いて、今一瞬何かの情景が浮かんだ。夏の海、とその風景にくっつくなんだか懐かしい感じの、少し物悲しい感じの感情。なんだ今の。記憶にはないが、嫌な感じではなかった。ただ懐かしい。

今日は今から髪を切りに行こうと思っている。髪を切って、さっぱりして、ちょっとだけ古着屋に行こうかと思っている。それはすごいいいことだろうと思う。

音楽がないので、他のもので気分転換をする必要があって、それは散髪と服の購入は悪くない洗濯だと思う。選択ね。

間違えた文字をタイプした時、消して書きなおすよりは、句点の後に修正後の文字を書くのがいイイのかもしれない。さて今晩は、何をしようか。

最近は本当にセルフエスティームの時期な気がしている。自分にこんなに自身がないのは始めてだ。なんか、世間を相手にして、勝てる気がしない。こんなはずじゃない、とかそういう感じではないのだが。今の自分は今までの自分の帰結だと理解しており、特にその帰結に対して文句はないのだけれども。

しばらくやってなかった文章を書くという行為が最近再び習慣に復帰してきていい感じなんだが、なんせ文章を書くことはセルフセラピーににはなっても僕の場合創造的になることはない。

無為の時間、が多い気がする。
 
今年の夏は、多分、こんなかんじで進んで行くんじゃないかと思い、それならば、毒素を全部出しきってしまうが吉かなあと思いながら生きている。

本当ここ最近、久しぶりに胸がちょっと重たくなったりして、そういうのにしばmオらく縁がなかった僕としては、耐性がなくなっているのでなかなかハードな展開ではある。としても、他人と比較した場合はこの辛さは大したことがないんだろうなと思うので、しかし比較はあんまりする意味がない気もするが。それでも、他人と比べてまだ軽いほうだと認識することは、闘う原動力にはなるだろうからよしとしよう。

暑さには例年より強くなった気がする。高岡大祐への抵抗かしら。
強くはなったと言っても、クーラーのない部屋で昼間過ごすのはなんだかんだ言って熱いので、ハンモックは速く作りたいと思う。早く。

だとすると今日は寅屋にも行きたいなあ。そしてブックオフで深夜特急の三巻を買うのだ。

非言語的に溜まったものは、楽器や歌によってかなり放出できる。
瞑想は耐久力をつける。
言語的、理性的な問題は書いて整理整頓するが良いと思う。

これだけ書いて、やっと0地点を超えてきたする。

もちょっと書いたらスパークするだろうか。

しかし車輪は回し始めがもっとも力を要するので、ここからは軽やかにやってみるがいいかもしれない。

私はてんさいです。

を各国語翻訳して、やる気がちょっと出てきた。

しかし未だ、やる気の中にもまだダウナーな感じが含まれている。

上昇と下降が入り混じった感情。

どっちかより少し複雑で、なんだかやりずらい。

この気分は多分瞑想することでもうちょっとシュッってな感じになると思う。ということで久しぶりに1分間瞑想をしようと思う。

やっぱり1分間瞑想はすごい効き目だ。

10分程度する瞑想と違って、集中力は明らかにまし、目的である、全てから一旦離れる、ということに向かいやすい。もうちょっとしたらもう一回しよう。

上昇と下降が入り混じった感じのさっきのが、大分と統一された。

大分気楽だ。

これで

後先のことを考えない場合、僕はやはり「新しい物事」に触れ続け、食べ続けるべきである。

それは失うべきでない。いや、失うことはないが、忘れてはいけない。失う可能性があれば、忘れないようにはするのだろうが、失わないことを自覚しているからこそ、ちょっとしたらわすれてしまうんだ。

いままでは、自分自身を忙殺しないようにしてそのプライオリティを守ろうとしていたが、今僕がすべきことは、忙殺しながらもそれを失わないようにすることだ。それは習慣でいい。週間が人を形作る。もっと忙しくしてしまえばいい。そのためには最低限の身体的健康が必須である。それさえあれば、1分間瞑想をできる。睡眠がプライオリティの1番目に来ないようにする。

身体的回復力を鍛える為に、僕は体を鍛えようと思う。うん、それでいい。

履歴書を書いて、肉体労働をして、優先順位を決めて、移動して、映画を見て。音楽はしばらくほおっておこう。といってもスタジオには入ろうと思う。

とりあえずワックスを買おう。メガネはまだいい。整髪をするのである。ハードなワックスを。ハードにワックスを。マットでなく、少し艶があるくらいがいい。艶を出すために、僕を磨く。

髪を切って、服を買って、1分間瞑想をして、ライトして。

ありがとう。ありがとう。おめでとう。8分目に元気になったところで今日は筆を置くことにする。
いや、笑ってくれたまえ

この空っぽさ、

僕はあまり悲しくなったりはしない。

空っぽな感じになることはたまにある。

でも今日考えたのは

この空っぽさは悲しさなのではないかということ

悲しみは虚しさということなら

このカラっぽさは

悲しみといえるんだと思う

僕がこの空っぽさを

悲しみと言わないのは

僕が悲しみのことを

どっかから落ちることや

何か理由を持つものと考えているからだと思う。

例えば悲しいストーリーや

悲しい生活

空っぽというのは

悲しむ対象がないっていうこと

しかし、この悲しむ対象を持たないという事を対象に

悲しんでいるのかもしれない。

この悲しみは

持たないこと、または持つべき対象を持たないことに起因するのかもしれない



まあとにかく、虚しいんだよ。


悲しいのか、虚しいのか、どっちなのかについてはあまり


考えることに意味はないのかもしれないが、

分類好きな動物である人間として

悲しいのか虚しいのかははっきりさせときたいんだよ。

どっちなのかによって

対策は変わるだろうしさ。

悲しいのであれば、その対象に対して働きかけることは比較的容易である

虚しいときは、虚しいこと、それ自体が悲しいので

どうにもしにくいのである

虚しいときは、僕はそんなに辛さを感じず、それが辛い。

感情の起伏といふものはある程度楽しめるから。

ジェットコースターのように


しかし、虚しさには動きがない

移動することもない。

ジェットコースターはどこかに行けるが

虚しさはサラサラとした監獄だ。

ネバつきなく、砂漠


悲しさにはストーリーがあるが、

虚しさにはなにもない。


虚しい状態、それが既に到達点である。

かと言って閉じ込められている感じもない。

閉じ込められているなら動きたくなるからだ。

虚しいときはやっぱり砂漠だ

ガラスに写った店内と、ガラスに透ける御堂筋を走る車と、風で大きく揺れる樹

店内に流れるハウスミュージックがこの虚しさを作っていることは間違いないように感じる

虚しさは穴の底ではない。

しかし虚しさはいつまでも続くことはない。僕においては。

では、砂漠はどのように平均的な僕が持つ風景にその景色を変えるのであろうか。

水が溢れ、木々が生え出すのか


寝ることはひとつの解決策である。

寝たら風景はリセットされる。

しかし実際には起き続けていても虚しさは知らずの間に消えていく

朝になることはそのひとつだ。

朝が登らなかったら、白夜の反対である黑昼が来たらどうしよう。

火を灯すのか?いや、火は逆に黒を際立たせる。

明るい部屋に入る?

僕は明るい部屋にいながら暗い外を想像する。


いったい僕はどこに行き、何をするのか。

僕は何を食べ、何を吐くのか。


そんなことは


ともかく、疲れが足りないんだろうな。

しかし、

この文章を書いていると

だんだんと気持ち良くなってきた。

ちょっとした変性意識に入っている。

ギターを弾くのとはまた違う感じ。

本を読もう。

そうだ、本を読もう。

立ち読みじゃなく、座って、本を読もう。

そして頭に本からの単語を広げるのだ。

どのように?記憶と単語を結びつける?


そして古着屋で新しい柄に出会う。

僕は、いつも、そんな感じで生きてきた。


これから、1か月後、1年後、半年後、5年後


悲しくてたまらない。たまらん。


でも楽しいことがいっぱいあることを知っている。

知っててよかったんだよな。

もし知らなければ、と想像したら躰が震えた。

知らなかったら死んでるよな。



生きる為の術、


生きるには食事が必要で、


ホームレスになってもなんとか生きていける。日本では野外で生きていけるようになっているんだ。あぁ、ヘロイン、アヘンをやりたい。アッパーなものじゃなくて。

こんなことをいってもハッパ吸ったらどうでも良くなるんだろうな。しかし日本では吸えない。


淘汰の世界

未来が僕に飛び込んでくる。


未来と僕がぶつかる瞬間、生まれる何か。

僕が生まれて、未来が生まれる。

僕と未来の重なりあうそのほんのすこしの境界線、


僕はつかれているのか?憑かれているのか?

かもしれないし、かもしれない。

マイケルの素敵な言葉、

今まで生きてきた中で、言葉をもらう、という感覚を味わったのはこの一節だけかもしれない。

かもしれないし、かもしれない。

ものすごい自己肯定的なフレーズだな。

maybe, or maybe

まちがっても

僕は死なないし死ねない。

こんな日は歩くのがいいか?とどまるがいいか?
そんなこと軽々しく口にするもんじゃありません、といって僕は木の幹に頭をブチつけた。

怯える彼らの顔を見ながら、僕は真っ正面から彼らを見据え、しばらく口をつぐむ。

一人一人の眼を見ていくが、浮かぶは困惑か恐怖のみ。


ただ1人を除いて。



六道不可思議天烈魔導

愉快に走る六回生の背中を追うあの子。
その端を見始める扉

レンコンはいつも扉の隙間に挟まっている。

僕はそんなやつを端から一気に引きぬく。

無用の長物と化したレンコンはいつも悲しそうな眼をしているが、ぼくにはそんなこと関係ない。全てはレンコンのためでなく、かぼちゃを大事にするあの子のためなのだから。

あの子と出会ったのは12月のちょっと寒い日、僕がちょっと寒いというくらいだから一般の人には大概寒いと考えていただければいい。

そんなことより、彼女は、その日のあの子は天使すらブサイクに見えるくらい美しかった。美のイデアより美しく、そうなるともはや美では形容できないが、僕はそんな言葉を持たないので仕方なく美よりもすごい美しさと形容するほかない。

あの子は僕の存在など意にしない様子で、くるりくるり、ひらりふわりと円を描いて踊っていた。両手を大きく広げて、肩より少し高い位置でふらふらさせていた。彼女の回転の軌道は、どこかしら、なんとなく、竜巻のようだった。でも優しい竜巻。触れたらきっと気持ちいいんだろうなと思う風を巻き起こしながら、彼女は笑っていた。僕は彼女のその様子をみて、なんだか少し悔しくなった。彼女のダンスに僕は加わることができない、と。彼女のダンスは優しいのだが、僕が加われるような場所は全く見当たらない。でも僕は一緒に踊りたいと思った。それで僕は彼女の視界から移動し、僕だけが彼女を見ることができる場所まで移動し、ステップを踏み始めた。

すたん。すとん。てくてく、とんとん。
すてん、ころん、とんとん、ぐるん。

こんな感じで踊りながら、彼女の作る優しい竜巻を見ていた。僕がぐるぐる回るのも加味されて、彼女の回転はさっきより更に不可思議に見えた。彼女はこのまま消えてしまうんじゃないかという変な気持ちに襲われ一旦足を止めて彼女を見据えると、そんなことはなさそうだ。だから、また僕はステップを踏むことにした。


だんだん、どん、ぐらん、ぐん。
ててて、すとん、ぐいん、ぎゅん。


彼女と一緒に踊っている気分に僕はなったが、彼女はそんなこと全く知らんない。
でもそれは問題ない。僕が求めていたのは彼女と一緒に踊ることであって、彼女に一緒に踊ってもらうことではない。

考えれば、逆に彼女が一緒に踊ってくれたら、僕は自由に好きなステップを踏めないだろうと思う。

それはすごく悲しいことのように思えたが、まあそんなもんだろうなと思い、諦める。

僕は変わらずステップを踏み、躰の軸をぐるぐる回す。

僕はダンサーだ。舞踏家だ、バレリーナだ。

あの子は竜巻で、竜巻で、竜巻だ。

気がつくと彼女は踊るのをやめて、地面に腰をおろし、両足を抱えていたが、僕は気にせず踊り続けた。僕が踊っていたのは踊りたかったからであり、彼女と踊りたかったのは僕が踊るための口実に過ぎない。

彼女を彼女が知らぬ間に利用し、僕は今踊っている。罪悪感もないことはないが、彼女はそのことに気づいてないだろうからまあいいかと思い僕はステップを踏む。大きく回る。目を回しながらぐるぐるまわる。まわる。


あの日のことを思い出すたび、大抵そのことを思い出すのは深夜のファストフード点のカウンター席に座っているときなんだけれども、僕はなんだか。
妖怪ばかりでいやになっちゃうぜ。これからって時にシューレアリスムの手法を使わないといけないとは、いや、きっとこの遠回りに見える道が正しい道なんだろう。といっても、シューレアルの目的は超現実なのだから正誤を超えたところの話なのかもしれない。そして、いや、単語予測でそしてと打ったので別にそしてに続く文章は現在ないのだよと言おうとしたら出てくるんだよねえこれが。そして、正誤を超えたところというのは正誤を止揚したものかもしれないし、全く別のものかもしれない。近づけば近づくほど見づらくなるものかもしれないし、そうかもしれない。

この手癖の再確認みたいな文章を書くことで、書くことへの復帰、リハビリテーションを行おうという野卑な試みはそれなりに達成しているのかもしれない。以前より本を読む事が少なくなったため、文章自体は前と変わらない。ただ、以前あったような無駄な熱病は最近てんでない。あれは懐かしく、美しく、素晴らしい。

取りあえず内容ではなく、あの素敵な熱病の再獲得をねらおうじゃないか、安井君よ。
六回回った所で朝が来た。
こんなになんどもなんども同じことをして、そして結果は出ない。
1:78の割合のはずなんだが、なぜかうまくいかない。だからといって文句があるわけではないんだがなあ。ようやく考えがまとまってきて、それでもなお君のことを考えながら、上手くいくようにと祈っているのだが、そんなことではきっと、いや、そんなことだから上手くいかないんだろうなしかし。
ラジオからは「洋楽」が流れている。洋楽と聞いて人はどんな音楽を連想するのだろうか。

肺が煙で満たされる。

ゆーっくりと煙を吐く。微かに感じる甘い香り。


さて、そろそろ行こうかね。
間違えて消えた。

目視、タイプ、立ち上げ、コピー、整える、しばらくおいて見返す。図書館へ行きアイデアを探し、完成、もう一度MACに行き発注。実家で


プログラムをボトムアップじゃなくて、トップダウン、いや違うな、しかし逆からやってみよう。RSSリーダーの組み込みから見ていくんだ。幅が大分狭まる。