「杖」と書いたとたんに浮かんでくるのは

だいぶ昔ですけど

私と仲が良かった先生のことです。

 

大学1年の時の助教授でした。

先方も30前後で若かったし

私とすご~く気があったんです。

 

恋とかそんなんじゃ全然なくて

単なる友達。

気軽な友達として、仲良しでした。

 

あ、もうひとり仲良くなった先生がいたんだった。

こちらは私が4年生の時に

助手としてうちの研究室にきた人。

 

この人とも本当に仲良くなりました。

 

奥さんにも紹介されたり

パリの私の家にも泊まったりしたけど

その先生とは別人の話です。

その大学時代の先生が

1年間だったか2年だったかアメリカに留学。

 

わりとカッコつけさんだったので

帰国してから杖を使い始めたんです。

 

杖と言ったら可哀そうかな。

 

ステッキです。

完全におしゃれ目的。

 

私と会って食事をする時も

ステッキをついて現れました。

 

どう。カッコいいでしょ。

うん。カッコいい。

 

確かにおしゃれな感じでした。

 

でも困ることがあるんだよ。

コレ持ってると席を譲られるんだよ。

 

確かにおしゃれ目的で杖をつく人なんて

当時の日本にはいませんでしたからね。

 

かなり頑張ったんだけど

どうしても病人に思われてしまうらしく

彼はステッキをあきらめました。

 

杖をつくのをやめたわけです。

反対のケースは私の母です。

 

母も自宅にいた頃は

病院に行く時に杖を持参してました。

 

杖をついていたら

看護師さんの親切度が変わるらしい。

すご~くいたわってもらえるのだとか。

 

杖は弱者の象徴ってことですかね。

 

でも、です。

 

でも、私たちも皆

本当は

いろんな杖に支えられて生きている気がする。

 

言葉が杖になることもある。

 

40代の私の杖になった言葉は

 

正岡子規

試しに我が枕元に毒薬を置け

而して予がそれを飲むかどうかを見よ

 

子規がどんなつもりで書いたのかは知らない。

 

でも覚悟は伝わってきました。

死を賭して生きる強靭な覚悟。

 

包帯交換で毎朝聞こえる子規の悲鳴は

近所の人がおびえるほどであったらしい。

 

自力で歩くこともできず

布団から起き上がることもできなかった子規。

その30代の覚悟が伝わってくる。

 

私はその言葉に支えられ

その言葉を杖にして

自分を支えた時期があったわけです。

人生に杖は必要。

誰だって様々な杖に支えられている。

 

杖という言葉から浮かぶのは

私の場合

実物の杖よりも

 

心を支えてくれる杖です。

今だって私は切実に杖を必要としています。

 

ブログを書くのもそれ。

 

間違いなくブログは私の心の杖です(^^♪

 

人は杖なしで生きられないのかもしれない。

 

杖って必要。

杖って大切。

 

ひとつと限らず杖はいくつあってもいい。

そんな気がするくらいです。

 

ほんとに杖ってありがたいですよ~♪