本日は昭和20年(1945年)3月10日の「東京大空襲」から69年でした。

昨年亡くなった私の父は、この日東京にいました。

旧制中学5年生で、受験で上京中だったのです。

滞在先が杉並区の西荻だったので、空襲に巻き込まれませんでしたが、上野方面の

空が真っ赤になっていたのを見たそうです。

翌日には上野公園まで行ってみたそうで、一面焼け野原だった光景が忘れられないと

言っていました。

300機以上のB-29爆撃機「超空の要塞」がやってきて、焼夷弾の雨を降らせていったのです。

この中の一機に、後に俳優になる故チャールズ・ブロンソンさん(1921年‐2003年)が射撃手

として搭乗していたと知ったのは数年前のことです。

私がまだ小学生だったころ、彼がカウボーイハットで川の水を汲んで頭から浴び、つぎに

顎を撫でながら、「うーん、マンダム」と言う男性化粧品のCMが大ヒットしました。

当時髭も生えていないのに同じしぐさをまねていたのを覚えています。

ブロンソンさんといえば、すでに映画「荒野の七人」(1960年)などで有名でしたが、ミリタリー

少年だった私にとっては、映画「大脱走」(1963)・「バルジ大作戦」(1965年)・「特攻大作戦」

(1967年)の方が印象的でした。TVドラマ「コンバット!」にもゲスト出演し、爆破の専門の

伍長の役を演じていました。

彼の目には燃える東京の姿はどう映っていたのでしょうか。


空襲の話に戻ります。

米軍の空襲に対する日本本土防空戦はうまくいかなかったので、敵の跳梁を許すことに

なりました。

一万m以上の高高度を飛ぶB-29に対抗できる強力な高射砲はあったのですが、十分な

数量に及びませんでした。

B-29を迎撃する防空航空部隊は、海軍航空隊と陸軍飛行戦隊に分かれていました。

それぞれが持てる力を発揮したようですが、十分ではなかったのです。

最後に模型の箱絵に描かれた防空部隊の姿を見てみましょう。


「B-29」の箱絵:日本軍機が迎撃している姿も描かれています

          
海軍の「雷電21型」

海軍の夜間戦闘機「月光11型」:斜銃で攻撃しています


海軍の夜間戦闘機「月光21型」


陸軍の「鐘馗」


陸軍の「鐘馗」:古いキットの箱絵で、火だるまになったB-29が描かれています


陸軍の「屠龍」:斜銃を装備


陸軍の「飛燕」:体当たり攻撃までして、操縦士はパラシュートで脱出していました