自然には設計図はない。
自然には動きしかない。

ただただシンプルな動きを積み重ねていくことで蓄積が起こり、形らしきホログラムが生まれただけのこと。

「なぜ脳はこんな形をしているのだろうか?」

それは、動いているうちにこの形が一番機能的で収まりどころが良かっただけのことだと分かった時、すべての自然界にある形を覗いてみた。

ハマナスの花も葉も、そこへやって来る虫たちもきっと、この形が一番機能的で収まりどころが良かったのだなぁと分かる。

そうなのに人間世界の学問は、形から分析していくから複雑になり訳わからなくなる。。。形など、動きの結果に過ぎないのに。

形ある世界から帰納法的に整理していくのではなく、一つの動きから演繹的に整理していくやり方を教えてくれたのが認識技術(nTech)。

私は悟りを求め、ずっと閉じ込められた形の中で足掻いていた。しかし、どう足掻いても形ある世界から外に出られなかったのだ。

しかし演繹的「動き」の視点は、いとも簡単に形ある世界の外に立たせてくれ「そこから宇宙を眺めてごらん。」と教えてくれた。

そこから眺める宇宙は、たった一つの動きだけが動き続けているなんともシンプルなものでした。

その視点の獲得は、人間同士が小競り合いをするのは、形に囚われるからなのだと分かる。学問がどんどん重箱の隅に入ってしまうのも、形から入るからなのだと分かる。

認識が「形」から「動き」に変わること、、、それは宇宙の源泉的な動きに人類が戻るとても機能的で収まりどころの良い道であることが分かるのです。