人間が考えなくなっている。
脳を使って、論理的に答えを導き出すことが億劫になり、それよりも楽な感覚へと流れてしまっている。そして感覚を絶対視する風潮すらある。
しかしよくよく考えてみると分かるが、それはトラップなのだ。
なぜなら感覚というのは、アルゴリズムの結果態なのだから。
アルゴリズムとは、因果論とも言える。Aという条件状況が揃えば、機械的条件反射が繰り返され、Bという結果が出る。
この宇宙空間の中はすべてアルゴリズムで動いている。だからニュートン力学が成り立つのだ。そして地球物質である体も同じ。
体を介したものはすべてアルゴリズム通り、機械的条件反射で動いているに過ぎない。
なので体を介してアルゴリズムという「因果のネット」から自由になろうとしても、無理だった。
いくら体を使って辛いキツイ修行をしても、因果のネットを外せない、すなわち悟れないのはそういうカラクリだからです。
そうではなく、アルゴリズムのワンパターンの仕組みを解いていきさえすればいい。。。公案を解くが如く。
感覚ではどこまでいっても「私が感じる。」という風に、主体が残る。
主体と客体も綺麗さっぱり残らないAll zero化、すなわち無にしてしまうには、やはりアルゴリズムを外すことができる道具として論理のパワーが必要です。
人間にのみ悟性があるのは、人間だけが論理という道具を使えるから。動物はいくら賢くてもやはり、因果は超えられない。
真理とは、真(まこと)の理(ことわり)と書く意味はここにある。
人間のゾンビ化計画、無用者階級計画…それをもたらさない為には、一人一人が因果のネットの外に出ることが必要不可欠です。論理を嫌がらず、脳に汗をかかせて考えることです。