人間の意識、狭義の感情に対し、化学でコントロールをする。

これは今一度、真剣に考え直すべき課題であると思う。

なぜならそれは、「人間をどう捉えるか」というとても重要な命題が裏に隠されているからである。

人間の持つ意識(感情)は、人間らしさであり、人間の本質。それは化学でコントロールするものではなく、その背景にある意図を捉えていくべき現象なのだ。

これから訪れるAI社会。。。知能vs意識 の構図が晒される。

合理主義者にとって、感情を感じることのない知能の代表AIは使い勝手の良い存在となるであろう。彼らにとって上がったり下がったりする感情は邪魔ものに過ぎないのだから。

人間がもし、ただのbio chemicalアルゴリズムで動く生命に過ぎないのだったら、合理主義者のやることは仕方のないものとなる。

しかし人間は知能の代表者ではない。人間の人間たる所以は、知能にあるのではなく意識にある。

その意識を化学で抑え込むというやり方は、人間の尊厳への冒涜となりかねない。

今までの教育は知能偏重であった。これはAI時代には役に立たない教育となることは明らかである。

人間の意識を育てる教育、すなわち心の教育が本当に必要となる時代となるでしょう。

意識とは?心とは?、、、それを曖昧にしておいてはならない時代。それは「人間とは何者か?」の命題への答えを出すことを問われていることだと言えると思います。