パリ.ダカール ラリーの完走を何度も経験した山村 雅康さん。彼との会話はいつでも興味が尽きることがない。

世界一過酷なモータースポーツ競技と呼ばれるパリダカ。そのレースで何度も完走している彼は、極限状態での人間の有り様を手に取るように話してくれる。

彼との出会いは15年前。彼のお父様の最期を、私が主治医として看取らせていただいた時から。

普通とは違った雰囲気を醸し出す彼のお話を、お父様のベッドサイド越しで聞かせていただいたのがご縁でしょう。

私はまだこの世界が意識の万華鏡であることを知らなかった…物質世界が絶対だと信じ込んでいた時に、人間の意識の結びなどについて教えてくれた。

そんな彼と13年ぶりの再会。変わらずに意識を押し広げてくれる。

砂漠の世界に放り込まれ、相棒であるバイクと自分だけという世界。身体中の感覚という感覚のスイッチが次から次に開いていく、一体どこまでが自分の境界線かが分からなくなると言う。そして時間の感覚というものが脱落する。

皮膚感覚延長のように、タイヤが接触する砂の形とあり様が手に取るように分かる。目は地平線の遥か彼方まではっきりと見渡し、様々な情報を察知している。。。それはそれは異常な世界。

自分だけでなく、バイクも究極の状態となるのだが、砂漠の真ん中でバイクが動かなくなるか、ならないかの境界線は結局、人の魂が乗った機械かどうかによるらしい。

究極のエンジニアになればなるほど、人の意識の世界を大切に扱う。

機械を撫でるという行為、言葉をかけるという行為、機械に魂を込めていく行為、、、それは人間の体力 気力 精神力の限界を振り絞る時、魂を込められたバイクは応えてくれるからだ。

バイクが応えるか応えないかを左右するものは何か?を考えてみる。。。それはミクロの世界での結びなのでしょう。

そして結びを起こすものこそが「意識」という接着剤。

この世界は意識の万華鏡。すべては意識が生み出したものであるが、各々を意識が接着させているとも言える。

そして接着の度合いが強ければ強いほど、人間の顕在意識からの応答は良くなるようだ。

パリダカのレースの行方もやはり、目に見えないところで既に決着は付いているのだと、お話を伺っていて思いました。

私たちは兎角、結果のみを見て判断しがちである。でもこの世界は幾重にも幾重にも見えないミクロの世界が時空を超えて重なり合い起こっている。

この世の達人という人々に共通することは、目に見えない世界を大切にするということ。。。それは意識が接着材であることを悟っているからこそ、存在そのものよりも目に見えない「関係性」というものを大切にするのでしょう。

ご縁で成り立つ世界、、、意識の達人こそが成功することは明らかだなぁと彼と話していて思いました。