どうやら剣術に魅入られた。

体を通した一つ一つの所作の背景には、宇宙創造の原理が張り付いていることを感じずにはいられない。

意図的にしなければ表の筋肉ばかりに意識が向いてしまうところ、裏の筋肉に意識が向くよう、足の運び、剣の構えの所作がある。

そして意識されていない裏の筋肉を使うようになると、隠されている裏の意識すなわち無意識の世界へと知らず知らずに誘われていく。

裏に繋がった筋肉の方がどれほど大きいのか、そしてしなやかさで言ったら、表の筋肉とは比べられないほどでしょう。

武術の大半は剛で成り立つが、日本の武術は柔である。

その背景には、大和民族独特の自然観または宇宙観というものがあるのかもしれない。

本居宣長が「唐心」と「大和心」を対比させた思想体系を築いている。

そこでは、物事を虚飾によって飾りたて、はからいの多い態度を「唐心」とし、はかりごとを加えず、ありのままのさまを尊ぶ素直な態度を「大和心」とする。

柔の極まりは水であり、水は変幻自在であり、その姿は宇宙が形作られる以前のすべてを生み出す根源のありように見えてくる。

それを体を持ったまま感知していく古武術という技術体系。その香りを嗅いだだけでも、先人の深遠なる智慧に感服してしまいます。

すべての真の学問、真の技術、真の芸術には隠された意図がある。

それは、、、表層に惑わされることなく、宇宙の原理を段階を踏むことにより誰もが感得していくように意図されている。

。。。人間は生きたまま、己が来たところに戻るのでしょう。