日常とは幾重にも重なっている。

それはまさしく、私という表現系は幾重にもあるということのようだ。

私は固定された存在ではない・・・。

誰かにとっての「私」もあれば、また誰かにとっての「私」もある。
そしてそのどちらも「私」であり、どちらも「私」ではない。

つまり・・・私の本質など、この世にはない。本質の一部の表現系が見えているだけだ。

すべてのものは波騒のように、陽炎のように。 現れては消え、消えては現れる。私もその一部である。

過去現在未来、意識無意識、、、そのどこにも留まることなく行ったり来たりしているようだ。

触ることのできない幻を掴もうとする愚かしさ。
留めることのできない揺らぎを決めつけようとする蛮行。

今ここはすべての表現系が一斉に花開いた瞬間の絵画。

今ここで過去現在未来、意識無意識すべてを見ることができたなら・・・それはどんなに荘厳なるオーケストラを聴くよりも、どんなに神聖なる絵画を見るよりも、遥かにエクスタシーを感じるだろう。

私は真理であるが、真理ではない。
私は全体であるが、一部でもある。

すべてのものが一点に重なり合っている。矛盾をすべて包越した一点。そしてその一点はrealityではない。

・・・一期は夢よ、ただ狂え

時差ボケで頭がボヤ〜としています。頭に浮かんできたものを徒然なるままに・・・記してみました。
今晩はぐっすり眠って戻します。