私たち人間は学ぶ。

なにも学校教育だけでなく、目を開けて何かを認識していくことで脳はDeep learningを起こしていく。

人間の脳は分別しカテゴライズして記憶として蓄積する。そしてバラバラな記憶を脈絡として繋ぎ論理を構築する。それが人生の信念体系や経営理念となっていく。

人間に生まれてきたからには誰一人例外なく学びは起こる。

ではなぜ学ぶのか?

例外なく必然として起こることにはなんらかの意図が隠されているのが自然の掟。

目的はなんだ?目的は…真理に辿り着くため。

この究極の一点に絞られるだろう。なぜなら、この世に答えがないのなら学ぶ必要などないのだから。

科学、宗教、哲学、思想、瞑想、道、学術…あらゆることは真理へ向かおうとしている。解き明かそうとしている。

ではなぜ真理を理解あるいは知る必要があるのだろう?

動機は人それぞれかもしれない。好奇心、直感、四苦八苦からの解放、恐怖の克服…など。

しかしそれぞれの動機の根底に隠された一番深い渇望はなんだろう?

それは進化=認識能力の拡大。

進化しようと人間は個人で学び、個人で修行した。そして五感覚の認識範囲を超え、エネルギーまでも認識することが当たり前の人たちも出てきた。サイキック能力を有する個人もそこいら中にいるようになってきた。

しかし個人の認識能力の拡大には限界があることを人類は気付いていくだろう。

たとえ無を捉えたとしても、この相対世界においては己の観点からは抜け出すことはできないから。それこそ、自分を認識する他者のいない森の中か山奥で過ごすほかなくなる。

なにが言いたいのか…笑

真理に辿り着くのが人間のゴールではないということ。

それは体の範囲が自分であるというego人間を卒業し、人間が一つの細胞となり細胞と細胞が繋がり一個の精神体を作るため、私たちは真理に辿り着こうと学ぶのだ。

それは意識しようとしなくても、人間の存在目的はそこにある。