進化とは「認識の拡張」である。

もっと分かりやすい表現をすれば、「環境との出会いの多さ」である。

出会いが多ければ多い存在ほど、進化していると言えよう。

光よりも物質
物質よりも植物
植物よりも動物
動物よりも人間

そして宇宙は進化の歴史であるならば、次!人間はどんな認識の拡張を起こしていけばいいのだろう?

細胞は細胞膜で環境を認識すると言われている。認識を拡張するために膜を広げるには限界があり、そのため細胞は共同体を形成した。単細胞生物から多細胞生物に進化していった。

人間も同じ。

一人の人間の認識能力には限りがある。多少の広い狭いはあるだろうがそんなに変わりはない。

認識を格段に拡張させるには一人よりも二人。二人よりも三人。三人よりも四人。四人よりも五人。

それは一人の観点よりも数が多い観点の方が指数関数的に認識能力は高まるということ。

「それを選ばない手はないだろう?」と誰もが思うが・・・そう簡単ではないのが人類歴史を見ていたら分かる。

いつの時代でも観点の衝突が必ず起こってきたから。歴史は「観点の統制」といっても過言ではない。

どうしたらいい?

絶対権力(神、王という概念)を作り、そこに従うようにすればいいか?・・・ごめんだ。
人間に恐怖を植え付け(例えば不足という概念)、不足を補うように仕向け行動統制をすればいいか?・・・まっぴらだ。

そのように一人一人が必ず持っている「観点の問題」をclearしなければ共同体は作れない。

ここで秘密を言おう。(笑)

「観点の問題」をclearするには、観点の外に出てしまうことなんだ。
外に出るためには、観点とは「なにで?」「どんな目的で?」「どんな仕組みで?」出来ているのかを知ること・・・脳の機能と密接な関係があるけどね。

それを知った刹那、ふと観点の外を認識する。自分が悟ったことに気づく。

なぜなら、観点の外=境界線のない世界=無 だから。

悟りとはGoalではなく、共同体を作り認識拡張をする(=進化)ための通過点でしかないのです。