存在・・・不思議なものです。

存在はなぜ、存在するのか?

光という存在然り、
エネルギーという存在然り、
物質という存在然り、

そして、
自分という存在然りです。

すべての存在には存在目的がある。そこに例外は・・・ない。

「この世に要らない存在はない」と言うのなら、存在目的まで知らないと、と思います。

目の前のペンは、書くためにある。
椅子は座るためにある。

では人間の存在目的はなんでしょうか?

万物の王として、地球に住まうすべての空気、動植物、鉱物までも使用する人間とは・・・

息をし、動植物を殺しながら食し、鉱物を加工し生活を便利にする。そうして、この地球で君臨して生きる私たち人間という存在は、

自分の体、自分の心だけを満たすためだけに生きるのだろうか?

ある患者さんが死の1週間前に言いました。

「先生、自分は一体、人生でなにをやるべきだったのだろうか?」

その一言は、人間の存在意義を問う問いだったのだと思います。

人間の存在意義を問うのなら・・・人間とはなんなのか?
この自分とはなんなのか?

そこの明確な定義が必要です。

・・・もう錯覚から目覚めましょうよ!
誰もが強烈に思い込んだ錯覚から!

この体が自分などではありません。
条件状況で姿を変える、この柔な体が自分などではありません。

これは錯覚。

病気があろうが、たとえこの肉体が滅びようが、そんなことに微動だにしないそのもの!

私たち人間は、境界線などない無限の可能性そのもの、心そのもの。

それが立証され、だれもが合点がいく時代。
楽しみです!