私の問いは次のようであった。

「人間は、死の恐怖を越えられるのか?」

探求した。
そして得た答えはYES!であった。

沢山の患者さんの最期を看取らせていただいている。
人間の崇高さに感動を覚える日々。

「先生、見ててね。私は天晴に死んでいく。」
そう言って、笑顔で亡くなった50代のIさん。

「あ~面白かった。我が人生に一点の悔いなし。」
そう言って、逝った外科教授H先生。

「仕方なかろう。先生、ありがとう。」
そう言って、打つ手のない医師の私を励まし微笑んでくれたKさん。

人間は、
己の人生というドラマのクライマックスである死を越えていくのだ。

そして思うのです。
いや・・・だからこそ思うのです。

人間の本質はここにあり!と。

生の輝きを半減させてしまうのは、
「生存しなければならない」という執着なのかもしれない。

人類は、生とはなにかを分からずに生きている。
死とはなにかを分からずに恐怖している。

私たちはなにも分からずに今ここに居させられている。

しかし、なにも分からないのは当たり前だった。
なぜなら、「生」のみしか認識していなかったから。

この世は相対である。

100円玉の表があれば必ず裏があるように。
呼吸も吸えば吐くように。
内があれば外があるように。
すべての現象(結果)には原因があるように。

生があれば死がある。

しかし、私たち人間の認識は片方だけしか捉えていない。

結果だけ。
生だけ。

なぜ?

それは人間の脳の機能が「有」しか捉えられないから。

私たちは脳が作り出す脳コンピューター画面(生)に捕われているのです。

人間本来は、
脳コンピューター画面の中になんかいない。

脳コンピューター画面を立ち上げるそのもの。心そのもの。
それが私たち人間の正体です。