動きが世の常である。

時代も然り。
留まっていない。

医療現場、特に終末期医療に携わっていると人々の意識の変化を感じます。

私が医師になった20年前、
大多数の人々は医療のプロトコールに準じ、現代医療の提供する治療を受けていました。

癌を切り取る。出来るだけ大きく切り取る。
そして抗がん剤。放射線。
三大療法を受けるのが当然であった。

しかし今、どうだろう?

「治療はしません。緩和ケアだけをお願いします。」
そうはっきりと告げてくる方々が確実に増えてきている。

もちろん、そう選択しても迷い自問自答を繰り返すこともあるのだが。

それでも時代の流れに伴って、人間の意識の変化を感じずにはいられないのです。

この世の中、なに一つとして留まっているものなどないのだと思います。

じっと動かないように見える石も、その内部では激しい動きがある。
この肉体も同じ。
人間の考え感情という精神活動も瞬時に激しく動いている。

そして・・・時代というエネルギーも例外ではない。
激しく動いている。

だから、今の時代の当然は当然ではなくなっていくのでしょう。

そして今、

今までの常識が人々の意識にそぐわなくなってきたのを感じます。
今までの絶対が絶対ではない時代に突入したのを感じます。

それなのに今までのような教育をしていていいのでしょうか?

存在を固定でみて暗記させる教育は真理には辿り着かない。

本当を見抜かせる教育。
そのためには「究極の問いを自ら投げられる質問力」を持たせること。

点数を稼がせるのが教育ではない。
処世術を教えるのが教育ではない。

究極の問い・・・を持たせること。
それが教育であると思います。

人はなぜ生き、なぜ死ぬのか?
人間とはなにか?

正しいQuestionを投げれば正しいAnswerはくる。

Answerはないという人類の集団思い込みは手放しましょう。
Answerはないのだから、「信仰するのです」という時代も終わります。

人間は、そのAnswerを自らの脳をもって理解し分かるようになる。
目隠しを外し、生死とはなにかを分かって生きる時代になる。

今までの当然は打ち破られるのはすぐそこです。