苦しみの根源はどこか?

人は苦しみに出会うようになっているようだ。

「私にはハッピーしかありません!」

そう、
条件状況が整っている時であれば
そう思い込むことはできる。

しかし、

人類は今のままでは
本当に自由だとは言えないと思います。
本当に安らいでいるとは言えないと思います。

たとえ今、
自分が何不自由なくすべてが満ち足りていたとしても、です。

なぜなら、私たちは無意識深くに不安を抱えている「存在」だから。

相対比較
ジェラシー
虚無感
罪悪感
羞恥心

そして、一番根底にある「存在が消え行く恐怖=死」を抱えているからです。

私たち人類が本当にクリアするべきことは
これらを一掃することです。

そうでなければ、本当の健康な心にはなれない。
健康な心でなければ、本当の自由にはなれない。

一人一人が本当の自由になれなければ、平和は訪れない。

これが構図です。

「ならば、一掃することは可能なのか?」

答えます。

「可能なのです。」

人間の苦しみの根源は
「存在を存在としてみる『認識』」にあったのです。

人類が500万年間思い込んできた「存在がある」という認識は未熟だったのです。

この「認識」の未熟が人間の苦しみの原因だったのです。

本当は
「存在は、人間が観測するまでは存在しない」のです。

量子力学の世界では証明されている。
しかし、それが今ここと繋がっていないだけのこと。

フォログラムである存在を存在しているという思い込みが
私たちを無意識に相対比較、死の恐怖に誘っていたのです。

「存在はフォログラムだった。存在は存在しない。」

故に
「不生不滅」
であることを知った時、
私たちは絶望を一掃できるのです。

人類の認識のアップグレードが起こることは
時間の問題だと思っています。

なぜなら、もうすでにここ日本には
認識をアップグレードさせる「認識技術」が発明されているから。