世界のプレートの下では
なにがうごめいているのか?
自由主義勢力と共産主義勢力
粒子化されていない2つの勢力が争っている。
この2つの勢力が押し合いへし合い均衡を保っている時には
私たちはこれらを感じることはない。意識することはない。
特にここ日本では感じにく。意識しにくい。
しかし、均衡が保てなくなったその時、
国は国家権力を現すのだ。
まるで卵子が一匹の精子を受け入れた瞬間、
バリアを作るかの如く。柔らかさから硬さへ変化する。
この地球はまだまだ平和ではない。
なぜなら、
72億の人間がNOと言えないひとつのビジョンに向かっていないからだ。
私は思う。
私たち人間の根源がある。
平和の心。
愛の心。
何人にも支配搾取されることのない大自由の心。
それが人間の尊厳である。と。
この宇宙空間すべてが重力によってひとつにまとめられているように
私たち人類も究極のビジョンでひとつにまとまっていくことが必要なのです。
私たち人間だけがバラバラのカオス。
争う。戦う。生かし合うのではなく足を引っ張り合う。
残念だが認めようと思う。
認めるところから始まるのだから。
そして認めた時、その原因が見えてくる。
誰が悪いのではない。どこかの国が悪いのではない。
世界に平和が訪れない原因は、
私たち一人一人の中にあることが見えてくる。
私たち一人一人の中にある「判断基準の未熟さ」にあるのだ。
更に言うと、
判断基準が未熟であることに気付いていないことにあるのだ。
判断基準は、
一人一人の人間五感覚で受け取った情報知識経験の蓄積にすぎない。
それは完全ではないでしょう。
たかだか五感覚で取れる情報の範囲内なのだから。
さらには、みなそれぞれに思考パターンのクセがあるでしょう。
しかし、それを絶対だと信じて疑わない・・・
そして、自分と違う観点を刺す。
経験が、知識が、情報が多くなればなるほど
私たちは苦しくなる。相手を許せなくなる。
これが争い。戦い。さらには戦争を引き起こす。
私たちはそんなためにこの相対世界に生まれて来たのではない。
判断基準という枠に縛られて、
ちっぽけな自分ワールドを形成し他を排除するために生まれて来たのではない。
宇宙全体がオーケストラをしているように
私たち人類もオーケストラができるのだ。
判断基準を解除せよ!
何一つ境界線のない大自由の世界から
この判断基準が生まれる仕組みを知った時、
判断基準は弛み、なくなる。
これが平和への道なのです。
なにがうごめいているのか?
自由主義勢力と共産主義勢力
粒子化されていない2つの勢力が争っている。
この2つの勢力が押し合いへし合い均衡を保っている時には
私たちはこれらを感じることはない。意識することはない。
特にここ日本では感じにく。意識しにくい。
しかし、均衡が保てなくなったその時、
国は国家権力を現すのだ。
まるで卵子が一匹の精子を受け入れた瞬間、
バリアを作るかの如く。柔らかさから硬さへ変化する。
この地球はまだまだ平和ではない。
なぜなら、
72億の人間がNOと言えないひとつのビジョンに向かっていないからだ。
私は思う。
私たち人間の根源がある。
平和の心。
愛の心。
何人にも支配搾取されることのない大自由の心。
それが人間の尊厳である。と。
この宇宙空間すべてが重力によってひとつにまとめられているように
私たち人類も究極のビジョンでひとつにまとまっていくことが必要なのです。
私たち人間だけがバラバラのカオス。
争う。戦う。生かし合うのではなく足を引っ張り合う。
残念だが認めようと思う。
認めるところから始まるのだから。
そして認めた時、その原因が見えてくる。
誰が悪いのではない。どこかの国が悪いのではない。
世界に平和が訪れない原因は、
私たち一人一人の中にあることが見えてくる。
私たち一人一人の中にある「判断基準の未熟さ」にあるのだ。
更に言うと、
判断基準が未熟であることに気付いていないことにあるのだ。
判断基準は、
一人一人の人間五感覚で受け取った情報知識経験の蓄積にすぎない。
それは完全ではないでしょう。
たかだか五感覚で取れる情報の範囲内なのだから。
さらには、みなそれぞれに思考パターンのクセがあるでしょう。
しかし、それを絶対だと信じて疑わない・・・
そして、自分と違う観点を刺す。
経験が、知識が、情報が多くなればなるほど
私たちは苦しくなる。相手を許せなくなる。
これが争い。戦い。さらには戦争を引き起こす。
私たちはそんなためにこの相対世界に生まれて来たのではない。
判断基準という枠に縛られて、
ちっぽけな自分ワールドを形成し他を排除するために生まれて来たのではない。
宇宙全体がオーケストラをしているように
私たち人類もオーケストラができるのだ。
判断基準を解除せよ!
何一つ境界線のない大自由の世界から
この判断基準が生まれる仕組みを知った時、
判断基準は弛み、なくなる。
これが平和への道なのです。