心のすれ違い・・・

私たちは本当に分かり合えているのだろうか?

「がんばれ!負けるな!」

そのような励ましの声が、ある病室から聞こえる。

彼が帰った後、彼女は言い、そして泣いた。

「辛い。がんばれと言われるのが辛い。」

彼女は一歩一歩、覚悟を固めているのだ。
一歩一歩、死の覚悟を

告知を受けてから2年間、
彼女は精一杯にがんばった。

そして今、
もう体と深い心が決断をしたのを彼女の深い意識が受け入れた。

彼女を愛する旦那さんは
受け入れたくない。
愛する妻が亡くなるのを、断じて受け入れたくないのだ。

愛ゆえに・・・。

しかし、すれ違うのだ。

私たち人間は、お互いを思いやる。
しかし、お互いの真の思いを分かり合えない。

これが本当でしょう。
悲しいけど・・・。

私たち人類は
ずっとずっと、こんなすれ違いを起こしているのでしょう。

一番近くにいて一番分かり合いたい人とも
分かり合えない。

そんな寂しさを背負い、いつしか諦めていく。

「こんなものだ。仕方ない・・・」と。

なぜ?

なぜ、私たちはお互いが分かり合えない?

私たちはそろそろ、その理由を明確に知る時だと思います。

それは、
皆それぞれが『観点』というものを持っているからなのです。

それぞれの観点というフィルターを通して、
私たちはこの世界を認識しているのです。

この観点は幾重にも重なっているフィルター。

個人のフィルター
家庭のフィルター
民族のフィルター
世代のフィルター
そして、
人間の脳というフィルター

それは言い換えれば、
皆一人一人、違う世界(=宇宙)に住んでいるようなものなのです。

分かりあえっこない。

フィルター越しの世界を共有などできはしないのだから。

だから、
フィルターである観点をゼロ化することが必要なのです。

ゼロ化とは
今ここ、「自分と自分の宇宙(=世界)を消すこと。」

自分たちの認識で。

ゼロ化して始めて
私たちは共有する土台に立っていることがはっきりと分かる。

ゼロ化して始めて
私たちはお互いを融合させることが出来る。

そして、分かり合える。

それが、私が
観点をゼロ化する技術『観術』が現代教育に必要です。

と訴えたい一つの理由です。