🕊️ 新聞を切り抜きながら、「順番が違う」と思った

――医療も安全保障も、パッチワークでは守れない

 

海外出張から帰ってきて、たまっていた新聞をまとめて読みました。10日分、いや、2週間分くらいでしょうか。

ネットニュースなら検索して一瞬で読める時代に、新聞を一枚ずつめくって、気になる記事をハサミで切り抜く。

我ながら、かなりアナログです。🤣

 

でも、これが案外好きなのです。

ネットでは、自分が興味を持ったもの、自分の関心に近いものがどうしても目に入ってきます。

新聞をざざっとめくっていると、自分では検索しなかったであろう記事が目に飛び込んでくる。

そして「ん?」と思ったものを切り抜いていく。

今回もかなりの量、スクラップしました。

その中の、三枚の記事についてが、今回のお題目になります。

 

一枚目。

「防衛相、戦傷医療向上で連携要請 厚労相、しっかり検討」

自衛隊の衛生機能を強化するため、医官などの研修機会を増やし、自衛隊以外の医療機関との連携や、医薬品・医療資機材の確保を進めるという内容です。

必要なことなのでしょう。

もし有事が起こり、自衛隊員が負傷したなら、一人でも多く救命しなければならない。

それは当然です。

でも、記事を読みながら、私はなんとも言えない気持ちになりました。

 

「戦傷医療」か。

とうとう、この言葉がこうして新聞の政策記事に普通に登場する時代になったのだな、と。

私は医師ですから、「戦傷」という二文字のリアルをどうしても想像してしまいます。

 

爆傷。
銃創。
熱傷。
大量出血。
四肢の損傷。喪失。

 

安全保障の議論では「有事」という言葉で語られるものが、医療の世界へ来た瞬間、生身の人間の身体の話しになる。

もちろん、備えは必要です。

でもその前に、

戦争を起こさないために、できる限りの外交をする。
そして、それでも対立が避けられないのなら、生身の人間が傷つくところまで行かせないために、最大限の知恵を使う。
こちらにこそ、まず力を注ぐべきではないのか。

こちらに最大限の知恵と力を注ぐことが、最初ではないのか。

そんなことを考えました。

 

そして、二枚目の切り抜き。

東洋学園大学教授・櫻田淳氏の、「『自分の経験』と『他人の経験』」という文章でした。

戦争について考えるとき、自分の経験だけではなく、他人の経験にどう向き合うのか。これも妙に心に残りました。なぜなら、人間はどうしても、自分が経験していない痛みには鈍感になるからです。

 

医療の世界でも同じです。

医師は患者さんの痛みを診断できます。

検査もできます。

画像も見られる。

「10段階で痛みはいくつですか」と聞くこともできます。

でも、その人が感じている痛みそのものを、医師が感じることはできません。

 

戦争もそうなのでしょう。

すでに、実際の戦争を経験した世代の多くが、この世を去りました。

戦場を経験したことがない。

爆撃されたこともない。

家族が戦場へ行ったこともない、そんな世代がほとんどです。

だからこそ、経験していない人間には想像する責任があるのだと思います。

 

そして三枚目。

「電子カルテ共有網整備 政府支援、医療体制強化」

全国の医療機関が患者の電子カルテ情報を共有できる仕組みを整備していく、という記事です。

方向性には大賛成です。むしろ、ようやくここまで来たか、という思いです。

でも、読んでいてまた、「ん?」となりました。記事には、

「12年度にも整備する」

とあります。

……ずいぶん先です。

 

ここで、机の上の三枚の切り抜きを並べて見ました。

戦傷医療。

他人の痛み。

電子カルテ。

全く別々の記事です。

でも、私の頭の中ではつながってしまいました。

そして思ったのです。

 

順番が違わないだろうか。

医師の世界には「トリアージ」という言葉があります。

限られた医療資源の中で、何を優先するのかを判断することです。国の政策にも、ある意味でトリアージが必要なのではないでしょうか。

戦傷医療の体制を整える。

もちろん必要です。

でも、その前にできることがある。

まず、戦争を起こさないための外交を尽くす。

そして医療側では、平時から、どこへ運ばれても必要な医療情報につながる基盤をつくる。

もし本当に有事が起きたら、負傷者は一つの病院だけで治療されるとは限りません。

前線に近い場所から別の医療機関へ。

そこからさらに高度医療のできる病院へ。

場合によっては地域を越えて搬送されるでしょう。

そのとき、

この人には何の既往歴があるのか。

何の薬を飲んでいるのか。

アレルギーはあるのか。

どんな手術を受けたのか。

直前にどんな処置をされたのか。

画像は。

検査値は。

輸血歴は。

それが、医療機関が変わるたびに分断されていたらどうするのでしょう。そしてこれは、戦争に限った話ではありません。むしろ最初に考えるべきなのは、こちらでしょう。

 

災害です。

日本は地震も、豪雨も、台風もある。大規模災害では、普段かかっている病院で診てもらえるとは限りません。

病院そのものが被災することもある。患者さんが県境を越えて搬送されることもある。本人が意識を失っていたら、自分の病歴を説明することさえできません。

そんなとき、医療情報だけは人について移動できる。私は、それを医療DXの「便利な機能」だけとは思いません。

命を守る基盤、そのものです。

そして今なら、そこには当然AIも使える。

 

人間が大量のカルテを一から読むのではなく、標準化された医療情報から、救急医療に必要な既往歴、薬剤、アレルギー、検査歴などを瞬時に整理して提示する。AI時代に、ようやくそれが現実的になってきています。だから私は、AIを活用できる、つながる医療情報基盤を、まずつくる。

それは平時の医療を良くする。

救急医療にも役立つ。

高齢者医療にも役立つ。

災害にも役立つ。

そして、不幸にも有事になったときには、戦傷医療にも役立つ。

つまり、一つの基盤がいくつもの問題を支えられるのです。

 

ところが新聞を三枚並べてみると、

こちらでは戦傷医療。

こちらでは電子カルテ。

こちらでは別の医療DX。

それぞれが別々の政策として動いているように見える。

私はそこに、日本の政策で時々感じるものを思いました。

 

パッチワークです。

破れたところが見つかる。

そこへ一枚、布を当てる。

また別のところが破れる。

そこにも布を当てる。

一枚一枚の布は、決して悪くありません。担当する人たちも、おそらく真剣に仕事をしている。でも、少し離れて全体を見ると、

そもそも一枚の布として、どういう国をつくろうとしているのだろう、と思うことがあります。

 

医療も同じです。

電子カルテ。

救急医療。

災害医療。

AI。

地域医療。

そして戦傷医療。

本来は、別々の島ではない。

人間の命を中心に置けば、全部つながっているはずです。

だから必要なのは、個別の穴をその都度ふさぐことだけではなく、最初に土台をつくること。そして、何から先にやるのかを決めること。医療用語を使うなら、政策にも「トリアージ」が必要なのだと思います。

 

ただ――。

 

ここまで考えて、もう一度、一枚目の切り抜きを見ました。

「戦傷医療」。

やっぱり、少し悲しくなりました。

 

私は現実主義でありたいと思っています。

海外を見て、オランダのプラグマティズムにも随分学びました。

見たくない現実だから見ない、という態度が人を守るとは思いません。

備えるべきものには備える。

最悪の事態も想定する。

それは国家の責任です。

でも、最悪の事態に備えることと、最悪の事態を当たり前の未来として受け入れることは、違う。

戦傷医療を充実させなければならない世界なら、その前に、戦傷者を生まないために何ができるのかを考えたい。

 

そして、それでも起きる災害や救急に対しては、平時から使える強い医療基盤をつくっておきたい。それが結果として、有事にも人を救う。私は、その順番の方が好きです。

 

二週間分の新聞をめくりながら、ハサミで切り抜いた昭和の新聞スクラップ。🤣

でも、紙の上に三枚を並べたからこそ、見えてきたものがありました。

一枚目は、戦傷医療という現実
二枚目は、自分が経験していない痛みを想像すること
三枚目は、その命を支える医療の基盤

一見、別々の記事です。

でも私には、全部つながって見えました。

制度を考えるときも。
戦争を考えるときも。
医療を考えるときも。

最後に絶対に忘れてはいけないのは、その向こう側にあるのは「制度」ではなく、痛みを感じる、一人の人間の身体なのだということ。

 

そして、できることなら。その身体が傷ついてから救う準備をするよりも、傷つかなくてすむための知恵を、先に使いたい。

新聞の切り抜き三枚を前にして。
今日は、そんなことを考えました。